京都府京都市左京区大原にある天台宗の尼寺が寂光院(じゃっこういん)。聖徳太子が父・用明天皇の菩提のために開基と伝わる大原の古刹で、寺号は玉泉寺(本尊は地蔵菩薩)。平清盛の娘・建礼門院(平徳子=高倉天皇の皇后)が、平家滅亡後隠棲した『平家物語』ゆかりの寺としても知られています。
平清盛の娘・建礼門院が出家し余生を過ごした寺
元暦2年(1185年)壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する際、満6歳4ヶ月で、二位尼(にいのあま)に抱かれて壇ノ浦に身を投じた安徳天皇。
その安徳天皇生母でもある建礼門院徳子は、京に護送された後、出家し、直如覚となって寂光院で余生を送っています。
文治2年(1186年)、復権し、院政を敷いて源頼朝と緊張関係にあった後白河法皇は、寂光院に御幸し、出家した建礼門院徳子に会っています。
「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ=釈迦が説法を行なったとされる古代インド寺院、実際には鐘はありません)の鐘の声、諸行無常の響きあり」の出だしで知られる『平家物語』の「大原御幸」(おおはらごこう)の段に記された話で、「諸行無常」(この世のものはたえまなく変化し続けているという事実を表した仏教用語)を象徴するエピソードとなっています。
後白河法皇一行を見送った後、直如覚尼(建礼門院徳子)は「先帝聖霊、一門亡魂、成等正覚、頓証菩提(先帝の御霊や一門の亡魂が正しい悟りを開いて、すみやかに仏果が得られますように)」と祈ったのです。
淀殿の命で片桐且元(かたぎりかつもと)が再建した本堂は平成12年の放火で惜しくも焼失し、現存する本堂は平成17年の再建。
建礼門院の陵墓は明治以降に宮内省の管轄となったため隣接地(宮内庁管轄の大原西陵)となっています。
本堂前西側の風情ある庭園は『平家物語』にも描かれる庭。
「池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ」は『平家物語』で後白河法皇が建礼門院を訪ねた際の一首と記されていますが、池は汀の池 (みぎわのいけ)として現存。
本堂の北奥には建礼門院御庵室跡も残されています。
寂光院 | |
名称 | 寂光院/じゃっこういん |
所在地 | 京都府京都市左京区大原草生町676 |
関連HP | 寂光院公式ホームページ |
電車・バスで | JR京都駅から京都バスで1時間1分、梅の宮前下車、徒歩19分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約26km。または、阪神高速8号京都線鴨川東出口から約20km |
駐車場 | 50台/有料 |
問い合わせ | 寂光院 TEL:075-744-3341 |
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