金剛寺

金剛寺

大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山が金剛寺(こんごうじ)。女人禁制だった高野山に対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれています。天野殿、楼門、鐘楼、経蔵、宝蔵、薬師堂、五仏堂、求聞持堂、御影堂、多宝塔、金堂など28棟が国の重要文化財、室町時代に作庭された庭園は国の史跡です。

南北朝時代には南朝の政庁が置かれた名刹

金剛寺

奈良時代に聖武天皇の勅命で行基が開創し、空海(弘法大師)も修行をしたという古刹。
その後衰退しますが、永万元年(1165年)、高野山の阿観僧正が後白河法皇、八条院(鳥羽天皇の皇女、異母弟の以仁王の養母、崇徳・後白河両天皇は異母兄)の庇護を受け再興。
八条院は真如親王筆の弘法大師御影を高野山から金剛寺御影堂に移したことから、女性が弘法大師と縁を結ぶ霊場となり、以降「女人高野」と称されるようになりました。

南北朝時代には南北両朝の祈願所になり、南朝では、後醍醐天皇の勅願寺なり、後村上天皇(後醍醐天皇の第1皇子で、南朝第2代の天皇)が正平9年(1354年)から6年間、金剛寺を行在所(あんざいしょ)とし、南朝の最重要拠点になっています。
南朝方は捕縛していた後光厳天皇、長慶天皇、御亀山天皇が、北朝方は光厳天皇、光明天皇、崇光天皇が行在所としてまさに呉越同舟の時代となっています。

鎌倉時代築の天野殿(あまのでん)は、寺の食堂(じきどう)ですが、正平9年・文和3年(1354年)に後村上天皇の政庁となったためにその名があります。
やはり鎌倉時代築の楼門とともに国の重要文化財。

真如親王筆の弘法大師の御影が奉安されている御影堂と多宝塔は平安時代の創建と伝えられ国の重要文化財。
国の重要文化財に指定される金堂には、運慶の作と伝えられる本尊・金剛界大日如来坐像、脇侍の不動明王坐像(快慶の弟子、行快の作と判明)、隆三世明王坐像が祀られており、本尊と脇侍は国宝です。

室町時代に創成された庭園も国指定の史跡。
杉苔の中に鶴島・亀島・枯瀧が配置され調和のとれた枯山水庭園で、樹齢600年の五葉松の美しい姿が見事です。
大阪府の天然記念物に指定される千年杉は東西20m、南北21mにもわたっていて、どっしりと茂り、境内を見下ろしています。
一帯の自然は「大阪みどりの百選」に選定。

観心寺、長野神社、烏帽子形城などとともに日本遺産「中世に出逢えるまち~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫~」の構成資産にもなっています。

金剛寺
名称 金剛寺/こんごうじ
所在地 大阪府河内長野市天野町996
関連HP 金剛寺公式ホームページ
電車・バスで 南海高野線河内長野駅から南海バスサイクルセンター行き、光明池行き、槇尾中学校前行き、滝畑ダム行きで20分、天野山下車、徒歩1分
ドライブで 阪和自動車道美原南ICから約17km
駐車場 80台/有料
問い合わせ 金剛寺 TEL:0721-52-2046/FAX:0721-52-2233
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
観心寺

観心寺

大宝元年(701年)、役小角(えんのおづぬ)によって開かれ、大同3年(808年)、空海(弘法大師)が再興したと伝えられる河内長野市にある古刹が観心寺(かんしんじ)。後醍醐天皇から庇護を受け、建武新政直後の建武元年(1334年)頃、楠木正成を

烏帽子形城

烏帽子形城

大阪府河内長野市の烏帽子形山にある中世の山城跡が烏帽子形城(えぼしがたじょう)。南北朝時代に後醍醐天皇を奉じた楠木正成(くすのき まさしげ)が築城した楠木七城のひとつと伝えられます(上赤坂城の支城)。国の史跡となった城跡一帯は、烏帽子形公園

 

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