薩長同盟締結地(近衛家別邸・御花畑御屋敷跡)

薩長同盟締結地(近衛家別邸・御花畑屋敷跡)

慶応2年1月21日(1866年3月7日)に近衛家別邸・御花畑屋敷(京都市上京区室町通鞍馬口下ル)で締結された、薩摩藩と長州藩の同盟が薩長同盟。坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋もあって、薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の木戸貫治(木戸孝允)が6ヶ条の同盟を締結したのです。薩長同盟締結地が、近衛家別邸・御花畑屋敷跡として碑が立っています。

薩長同盟6ヶ条の締結が行なわれた御花畑屋敷はここに!

薩長同盟は、蛤御門の変、第一次長州征討後の秘密裏の行なわれた同盟です。

小松帯刀邸に関しては、平成28年に鹿児島、京都で相次いで「御花畑絵図」が見つかり、現在の京都市上京区森之木町など3町にまたがる約5900平方メートルの広大な敷地だったことが判明しています。
「御花畑」は、近衛家の別邸で、島津久光の側役で薩摩藩の藩政改革に尽力した小松帯刀(こまつたてわき)はここを住居としていました。
つまり、幕末に薩摩藩が借りていたのです。
亀山社中(のちの海援隊)設立を援助したのも小松帯刀で、薩長同盟締結には小松帯刀も同席しています。

薩長同盟の締結場所に関しては、薩摩藩邸(現在の同志社大今出川キャンパスの一部)という説もあり、定かでありませんでしたが、木戸孝允の伝記『松菊 木戸公伝』には、同盟について「帯刀の寓居に會合し」と記されているので、ほぼこの地ということで決着を見たようです。

新資料などが見つかるまでは京都市上京区一条堀川東入ル南側(松之下町)を「小松帯刀寓居参考地」としていましたが、その碑などは撤去されています。

薩長同盟6ヶ条
一、戦いと相成り候時は直様二千余の兵を急速差登し只今在京の兵と合し、浪華へも千程は差置き、京坂両処を相固め候事
一、戦自然も我勝利と相成り候気鋒これ有り候とき、其節朝廷へ申上屹度尽力の次第これ有り候との事
一、万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付、其間には必尽力の次第屹度これ有り候との事
一、是なりにて幕兵東帰せしときは屹度朝廷へ申上、直様冤罪は朝廷より御免に相成候都合に屹度尽力の事
一、兵士をも上国の上、橋会桑等も今の如き次第にて勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗み周旋尽力の道を相遮り候ときは、終に決戦に及び候外これ無きとの事
一、冤罪も御免の上は双方誠心を以て相合し皇国の御為皇威相暉き御回復に立至り候を目途に誠心を尽し屹度尽力仕まつる可しとの事
薩長同盟締結地(近衛家別邸・御花畑御屋敷跡)
名称 薩長同盟締結地(近衛家別邸・御花畑御屋敷跡)/さっちょうどうめいていけつち(このえけべってい・おはなばたけおやしきあと)
所在地 京都府京都市上京区室町通鞍馬口下ル森之木町462
電車・バスで 京都市営地下鉄烏丸線鞍馬口駅から徒歩3分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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