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トロッコ保津峡駅

トロッコ保津峡駅

京都市西京区にある嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線の駅がトロッコ保津峡駅。昭和4年8月17日、 国鉄山陰本線の松尾山信号場として開設され、昭和11年4月15日に保津峡駅として開業。嵯峨駅(現・トロッコ嵯峨嵐山駅)〜馬堀駅間の山陰本線が新線となったことで、平成3年4月27日、トロッコ保津峡駅として再開業。

国鉄時代の駅が、映画『蒲田行進曲』にも登場

明治32年8月15日に開通した山陰本線京都〜園部間で、もっとも難工事だったのが嵯峨〜亀岡間の保津峡部分。
開通時には京都政財界を代表する有力者・田中源太郎が設立した京都鉄道という私鉄が敷設したもの。
洪水による流出防止から保津川の水面上12.2mの断崖絶壁に線路を敷設し、朝日隧道(499.1m)を筆頭に隧道(ずいどう=トンネル)8ヶ所、橋梁50ヶ所で難所を克服しています。
護岸工事の石材や材木などは丹波から舟運や仮設の線路で運び、使われたレンガはわざわざ亀岡に自社工場を築いています。
明治40年8月に、京都鉄道は資金難から国鉄山陰線となり、平成3年に嵯峨野観光鉄道となっています。
京都の近代化に尽力し、保津峡に線路を敷いた田中源太郎は、大正11年4月3日、山陰線保津川鉄橋での脱線事故で、客車から保津川に投げ出されて死亡しています。

山陰本線時代の保津峡駅は、映画『蒲田行進曲』(昭和57年)のロケ地にもなっています。
ヤス(平田満)が身重の小夏(松坂慶子)をつれて帰郷する印象的なシーンがこの保津峡駅です。
歴史ある駅として「近畿の駅百選」にも選定。
駅周辺には人家がなく(その意味では「秘境駅」)、保津川に架る吊り橋「鵜飼橋」を渡り、JR保津峡駅へと続く1kmの道は、気軽に楽しめるハイキングコース(徒歩15分)。

昭和53年、国鉄時代の保津峡駅
トロッコ保津峡駅
名称 トロッコ保津峡駅/とろっこほづきょうえき
所在地 京都府京都市西京区嵐山北松尾山
関連HP 嵯峨野観光鉄道公式ホームページ
駐車場 なし
問い合わせ 嵯峨野観光鉄道テレフォンサービス TEL:075-861-7444
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

保津峡駅

保津川(桂川)に架る橋脚を駅舎にした、全国的にも珍しい駅が、JR西日本・山陰本線(嵯峨野線)の駅が保津峡駅。昭和4年8月17日開設の松尾山信号場が前身で、昭和11年4月15日開業。当時は現在のトロッコ保津峡駅に駅がありましたが、平成元年3月

保津峡

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トロッコ亀岡駅

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嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)

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