将軍塚

将軍塚

京都府京都市山科区、円山公園裏手の華頂山山頂(標高215m)、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)の飛地境内である将軍塚青龍殿の南側にあるのが地名の由来ともなる将軍塚。古墳時代の横穴式石室を有する円墳ですが、王城鎮護のため、土の像を武具姿にして棺に納めて埋めたという伝説もあります。

実は、将軍塚古墳群の3号墳

将軍塚

京都の四条通の延長上、その東側の丘陵にあるのが将軍塚。
桓武天皇(かんむてんのう)が、寺社勢力の支配を逃れ、平安京に遷都する際、平安京への遷都を進言した和気清麻呂(わけのきよまろ)に伴われて、この丘に登り、京に都を遷すことを決めたともいわれ、都の鎮護のために、土の像に甲冑を着せ埋めて、都の安泰を祈ったと伝えられています。

平安末期以後、天下に異変があるときは必ずこの塚が鳴動するという伝説が生まれ、『源平盛衰記』には源頼朝挙兵の前年、治承3年(1179年)7月には、三度にわたってこの塚が鳴動したと記されていますが、東山の雷などをそう類推したのかもしれません。

実際には青蓮院門跡の飛び地境内の将軍塚青龍殿敷地内に1号~3号墳、敷地の南側の山林内に4号~14号墳の14の古墳からなる古墳群で、将軍塚と通称されるのはその1号墳。
直径40m、古墳時代中期の大型円墳と推測され、桓武天皇が将軍の像を埋めたという伝承が事実であるとすれば、もともとあった古墳を利用したということに。
実際は、出土した武人の埴輪が、桓武天皇が埋めた伝説、あるいは坂上田村麿の墳墓であるという伝説を生んだしたものだと推測できます(あくまで古墳時代の墳墓です)。

将軍塚青龍殿の石庭風の庭園は、1号墳の跡で、箱式石棺が出土。
庭園の庭石は、この古墳の石を利用しています。
竪穴式石室を有する2号墳は大日堂のなかにあります。

将軍塚の南には西展望台、将軍塚の北に将軍塚青龍殿・大舞台があり、京都盆地を一望にする展望台になっています。
なお、毎年春と秋に行なわれる、夜の特別拝観・ライトアップのみ、夜間の拝観が可能です。

将軍塚
名称 将軍塚/しょうぐんづか
所在地 京都府京都市山科区厨子奥花鳥町28
関連HP 将軍塚青龍殿公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄東西線蹴上駅からタクシーで10分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約6.5km
駐車場 将軍塚駐車場(40台/無料)
問い合わせ 将軍塚青龍殿 TEL:075-771-0390
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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