【意外に知らない】 特急が「庶民の乗り物」になったのはL特急時代から

L特急

かつて特急は、一等車と同様に(現在のグリーン車は二等車)、庶民には手が届かない高嶺の花でした。庶民が乗る速達列車は急行列車で、特急は子どもたちのあこがれの乗り物だったのです。そんな特急が大衆化し、「庶民の乗り物」となったのはL特急時代からといえるでしょう。

8時ちょうどの「あずさ2号」はもちろん、L特急

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「L特急」(えるとっきゅう)という言葉が聞き慣れないのは若い世代です。
「数自慢、かっきり発車、自由席」がコンセプトで、昭和47年10月2日のダイヤ改正で登場したのが「L特急」。
イギリス国鉄の長距離特急旅客サービス「インターシティーサービス」(InterCity)を参考に、始発駅を毎時0分、30分というわかりやすい時間に発車、自由席車両を用意、停車駅のパターンを限定化するなど、利用しやすい特急にするという取り組みです。

最盛期の昭和50年代後半には全国で30種類ものL特急が走っていたのです。
狩人(かりうど)歌う『あずさ2号』(昭和52年3月25日発売)も8時ちょうどなのでまさにL特急。

山陽新幹線の岡山延伸、主要路線の電化完成といった高度成長時代を背景に、特急の大衆化路線として登場した種別です。
「通常の特急と何が違うの?」という疑問も多く、昭和62年4月1日の国鉄分割民営化後は、この呼称も一部を除いて消えていき、最後に残されたJR東海のL特急「しなの」(「ひだ」、「しらさぎ」とともにJRグループの中で最後までL特急を名乗った列車のひとつ)も平成30年3月17日のダイヤ改正で「通常の特急」となり、L特急は消え去りました。

特急を使った鉄道旅行を身近にした立役者といえば、誰もが口を揃えるL特急。
なぜJR東海が最後までL特急という呼称を残したのかといえば、名付け親である須田寛(すだひろし)がJR東海相談役(JR東海初代社長)だったから(L特急担当時は国鉄旅客局営業課長)。
須田寛は国鉄時代にフルムーン夫婦グリーンパス、自由席、青春18きっぷ、ホームライナー、そしてL特急の立役者となった存在で、営業課長時代にはディスカバー・ジャパンキャンペーンを成功に導いています。

その須田寛も、L特急という呼称の廃絶に関して「当初の理念が達成された上での卒業」と語っているので、特急の大衆化が実現した証ということになるのでしょう。

ちなみにL特急のエルの意味は、須田寛によれば、直行を意味する「Liner(ライナー)」に加え、人々にかわいがってもらえる「Little(リトル)」の意味も込めたとのこと。

須田寛は、「これからのL特急はリニアのLだ」と語っていましたが、鉄道はリニア時代に入りつつあるのかもしれません。

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