【マンホールで知る町自慢】No.024神奈川県川崎市

川崎市のマンホールの絵柄は、ツツジとツバキの花です。
ツツジは川崎市の花、ツバキは川崎市の木で、どちらも昭和49年に市制50周年を記念して市民投票で選ばれたものです。


 

武蔵国なのに神奈川県になった理由とは!?

川崎駅前にあるマンホール

川崎市は川崎区・幸区・中原区・高津区・多摩区、宮前区・麻生区の7つの行政区から成る政令指定都市です。マンホールにはその7つ区を表す7輪のツバキの花が描かれています。
川崎市が、実はちょっぴり変わっているのは、神奈川県の海岸部に位置しながら、神奈川県内の市町村で唯一、武蔵国(むさしのくに)。他の市町村は、横浜にしても少なくとも一部には相模国を含んでいます。
川崎市を縦断する南武線も、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、さらに武蔵溝ノ口と武蔵がオンパレード。
現在の横浜市戸塚の山中が当時の武相国境で、明らかに川崎は武蔵国。
明治初頭に横浜(神奈川)という貿易上重要な場所があったため、川崎は神奈川府に入り、そのまま神奈川県へと進みます。
武蔵国なのに東京ではない理由は、横浜の貿易港としての存在と、多摩川が交通の障害となっていたからでしょう。
(多摩川の川崎に貢献した役割は後述します)

マンホールの中央に描かれるのは川崎市の花であるツツジ

市の木ツバキが川崎市7つの区を表現しています

川崎の繁栄は六郷の渡しがルーツ

川崎市の面積は、日本に20市ある政令指定都市の中では最小ですが、人口は147万5300人(平成27年国勢調査)と、政令指定都市の中で7番目のマンモス都市。もし、川崎市が独立して「川崎県」を宣言すれば、なんと人口は、鹿児島県に次ぐ25番目に多い県ということになります。
そんな川崎の繁栄のルーツは、実は多摩川(六郷川)の渡し船にあります。
川崎が東海道の宿場・川崎宿となったのは、1623年(元和9年)。
品川宿と神奈川宿の間が往復10里と遠かったために江戸から数えて2番目の宿場として川崎宿が制定されました。その後、六郷の渡しの権益を得たことが、川崎の繁栄の基礎となったのです(六郷は東海道が多摩川を横切る要地です)。

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い直後に、徳川家康は、東海道の物流の基盤整備に多摩川(六郷川)に六郷大橋を架橋。以来修復やかけ直しが行なわれました。元禄元年7月の大洪水で六郷大橋は流され、幕府は架橋をやめ、明治に至るまで船渡しとなりました。宝永6年(1709年)3月、田中休愚(たなかきゅうぐ=六郷川の渡船権を獲得し財政難にあえぐ川崎宿を見事再建)の働きで船渡しの業務を川崎宿が請け負うことになり、それによる渡船収入が宿場の財政を大きく支えました。

現在、川崎市側(川崎市川崎区旭町)に渡船跡の碑と、明治天皇六郷渡御碑(明治元年の明治天皇の渡御の際には23隻による舟橋が架けられました)が立っています。

歌川広重の『東海道五十三次之内 川崎 六郷の渡し』

歌川広重の『東海道五十三次之内 川崎 六郷の渡し』

 

ギネスブックに登録された世界一短いエスカレーター

川崎駅東口にあるショッピングセンター川崎モアーズ(MORE’S)には、1991年度版ギネスブックに登録された「世界一短いエスカレーター」があります。平成元年に登場した世界最短のエスカレーターは、実際に見てみると段数にして5段(段差はたったの83cm)、しかも下りだけという何とも不思議なエスカレーターです。さらに不思議なことに下った後にまた階段が5段あるのです。
川崎モアーズによりますと、「地下街アゼリアへの通路がモアーズの地下1階と2階の間に位置してしまいこの解消策として登場しました」とのこと。
ならばなぜ、もう少し長くして、階段を下りずにすむようにしなかったのか? 謎のエスカレーターでもあるので、川崎に行く機会があればぜひお立ち寄りを。
最近ではYouTubeなどでも紹介され、海外からの訪問者も増えているとのこと。

 

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