現在の奈良県吉野郡吉野町六田と大淀町北六田を結んだ渡し場が、六田の渡し(むだのわたし=
柳の渡し)。吉野から大峯山へと至る大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の起点となっていました。美吉野橋の吉野町側のたもと、六田の渡し場跡には、大峯山を開いた役行者像も配されています。
熊野本宮を起点とすれば大峯奥駈道は六田の渡しがゴール
柳の木が目印となったことから大淀町側では柳の渡しと呼ばれていました。
金峯山寺・蔵王権現へ吉野詣での人々も、明治、大正期の南朝遺跡遊覧の人も六田の渡しで吉野入りを果たしたのです。
渡し場が開かれたのは、平安時代醍醐寺の開祖・聖宝理源大師(しょうほうりげんだいし)によるもので、近世に至るまで大峯奥駈道、吉野詣での玄関口となっていました。
大峯奥駈道は、熊野本宮から大峯山をへて吉野に向かうのが順峯(じゅんぷ)、逆に吉野山から熊野本宮に向かうのが逆峯(ぎゃくふ)で、途中にチェックポイント的な75ヶ所の靡(なびき)がありましたが、最後の第75の靡が柳の宿(やなぎのしゅく)。
つまり、六田の渡しが順峯(じゅんぷ)の場合の結願所なのです。
万葉集にも「音に聞き 目には未だ見ぬ吉野川 六田の淀を今日見つるかも」(詠み人知らず)、「わづ鳴く 六田の川の 川柳の ねもころ見れど 飽かぬ川かも」(柿本人麻呂)と歌われています。
美吉野橋が架けられたのは大正8年のこと。
それ以前の明治時代には簡素な木橋(仮橋)で、吉野川が増水する期間は渡し船を利用していたのです。
六田の渡し場の上流、本善寺の門前には桜の渡しがありました。
六田の渡し場跡 | |
名称 | 六田の渡し場跡/むだのわたしばあと |
所在地 | 奈良県吉野郡吉野町六田 |
関連HP | 吉野町公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄六田駅から徒歩10分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 吉野町産業観光課 TEL:0746-32-3081/FAX:0746-32-8855 |
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