豊太閤花見塚

豊太閤花見塚

文禄3年2月27日(1594年4月17日)、豊臣秀吉は、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗らの諸大名をはじめ、豊臣秀頼と正室ねね(北政所)、淀殿ほか側室、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5000人の供を従えて吉野山に入山。その際に、花見を楽しんだ場所が豊太閤花見塚(ほうたいこうはなみづか)として残されています。

下千本から上千本まで吉野山を一望にする丘

豊臣秀吉は、吉水院(現在の吉水神社)に本陣を構えますが、なんと3日連続で雨。
面目がつぶれそうな秀吉は、もし、明日雨なら、金峯山寺(きんぷせんじ)を含め、吉野を焼き払うぞと脅します。
吉野全山の僧たちの晴天祈願の甲斐あって、ようやく巡った晴天に如意輪寺近くの丘で花見の宴を催していますが、その場所が豊太閤花見塚。

豊太閤花見塚と呼ばれる丘は、吉野山の本筋となる尾根からは外れた観光車道沿い。
小さな駐車スペースから山道が続いた先が園地となった丘。

大きな谷を隔てた向かいに下千本から上千本までの尾根筋が一望となる絶景の地。
吉野山の尾根筋にいれば吉野の桜は一望にできないので、さすがは秀吉、絶景の地を探し当てているのです。

豊太閤花見塚
名称 豊太閤花見塚/ほうたいこうはなみづか
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山
電車・バスで 近鉄吉野駅からタクシーで5分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約37km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 吉野山観光協会 TEL:0746-32-1007/FAX:0746-32-1217
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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