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市庭古墳(平城天皇陵)

市庭古墳(平城天皇陵)

奈良県奈良市佐紀町、平城宮大極殿跡のすぐ北にある墳丘長253mという巨大な前方後円墳が、市庭古墳(いちにわこふん)。全国14位、奈良県6位の巨大な古墳で、宮内庁から楊梅陵(やまもものみささぎ)として平城天皇陵に治定されています。

前方部が平城宮建設の際に削平

神功皇后に治定される五社神古墳(ごさしこふん)など、ヤマト王権の王墓を含む大古墳が多いことで知られる佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の1基。
以前は、直径100m超の日本最大級の円墳とも考えられていましたが、発掘調査で前方部が平城宮建設の際に削平されていたことが判明。
復元すると墳丘長253mにも及ぶ前方後円墳であることが判明したのです。

このことなどから、古墳時代中期前半(5世紀前半)の築造だと推測され、宮内庁は平城天皇陵に治定していますが、弘仁15年7月7日(824年8月5日)に平城京で崩御した平城天皇(平安時代初期に在位)の陵であることは歴史的にもおかしいことに(平城天皇には新たな陵墓が造られず既存の古墳に埋葬されたことになってしまいますが、発掘調査で奈良時代の改修しか認められていません)。
古墳時代中期前半とすれば、平城天皇とは400年ものギャップが生まれてしまいます。

市庭古墳(平城天皇陵)
名称 市庭古墳(平城天皇陵)/いちにわこふん(へいぜいてんのうりょう)
所在地 奈良県奈良市佐紀町
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで 近鉄大和西大寺駅から徒歩20分
問い合わせ 宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所 TEL:0744-22-3338
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

五社神古墳(神功皇后陵)

奈良県奈良市山陵町にある墳丘長267mの巨大な前方後円墳が、五社神古墳(ごさしこふん)。全国13位、奈良県内5位の巨大古墳で、宮内庁から狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)として仲哀天皇皇后である神功皇后陵にに治定されていま

ウワナベ古墳

奈良県奈良市法華寺町にある巨大な前方後円墳が、ウワナベ古墳。最新の調査の結果、墳丘長はこれまでの測量図を元にした255mを大幅に上回る270m〜280mだと判明し、国内12位、奈良県内4位の巨大古墳に。宮内庁から八田皇女(やたのひめみこ=仁

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佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)

奈良県奈良市山陵町にある墳丘長218mの巨大な前方後円墳が、佐紀石塚山古墳(さきいしづかやまこふん)。全国26位、奈良県内8位の巨大古墳で、宮内庁から狭城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)として成務天皇陵(せいむてんのうりょう

佐紀陵山古墳

奈良県奈良市山陵町にある墳丘長207mという巨大な前方後円墳が、佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)。宮内庁から狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)ですが、として垂仁天皇(すいにんてんのう)皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと=景行天皇

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奈良県奈良市法華寺町にある墳丘長204mという巨大な前方後円墳が、コナベ古墳。佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の東群に属する1基で、宮内庁から小奈辺陵墓参考地として、仁徳天皇皇后・磐之媛命(いわのひめのみこと)の陵墓参考地に治定され

日本の大王墓 全22基 完全ガイド

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