サイトアイコン ニッポン旅マガジン

信濃川ウォーターシャトル

信濃川ウォーターシャトル

新潟県新潟市の信濃川河口、明治時代まで続いた信濃川舟運を復活させようという意図でスタートした信濃川のリバークルーズが信濃川ウォーターシャトル。みなとぴあ~朱鷺メッセ(ときめっせ)~萬代橋西詰(ばんだいばしにしづめ)~万代シティ~県庁前~ふるさと村を往復しています(所要50分)。

弁当や飲み物の船内への持込みもOK

下船せずに乗船した場所に戻ってくる周遊クルーズ(周遊便・所要25分)という楽しみ方も可能。
就航する「アナスタシア号」(Αναστασία=ギリシア語で、原義は復活した女性)、ペアトリス号(Beatrix=ラテン語のViātrīx ・「航海者、旅行者」がルーツで、幸福をもたらす女性)ともに展望デッキも備えられているので川風を浴びながら景色を楽しむことが可能。

シャトル便、周遊便ではビールやワインなどのアルコール類を含む各種飲み物やスナックも販売され、弁当や飲み物の船内への持込みもできるので、「走るラウンジ」的な利用もできます。

明治7年に始まった信濃川舟運

明治6年8月、新潟県令・楠本正隆(くすもとまさたか=大久保利通の腹心)が、新潟税関所属の鉄製蒸気船「新潟丸」を使い、新潟~直江津間の沿岸定期航路を開設。

明治7年設立の新潟川汽船会社は、木造蒸気船「魁丸」を白山公園脇~長岡間に就航させ、信濃川の近代的な舟運が始まりました。
明治21年、信濃川の川蒸気は、川汽船会社安進社に統合され、新潟町(現・新潟市)は川蒸気の拠点として、明治・大正期の主要幹線の基地として栄えたのです。

長岡で船継ぎして、本流は水沢村(現・十日町市水沢)まで、支流の魚野川は六日町まで通船していました。

大正11年、大河津分水路の通水後、川蒸気は水深の関係で信濃川の航行が不能となり、鉄道の発達もあって安進社は昭和13年に解散、信濃川の舟運は消滅しています。

信濃川ウォーターシャトル
名称 信濃川ウォーターシャトル/しなのがわうぉーたーしゃとる
所在地 新潟県新潟市中央区下大川前通ニノ町2230-33万代橋ビルヂング11階
関連HP 信濃川ウォーターシャトル公式ホームページ
電車・バスで JR新潟駅から徒歩15分
ドライブで 日本海東北自動車道新潟亀田ICから約7kmで駐車場
駐車場 万代シティ第1〜4駐車場(3000台/有料)
問い合わせ 信濃川ウォーターシャトル TEL:025-227-5200/FAX:025-227-5203
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

みなとぴあ新潟市歴史博物館

信濃川・新潟西港に面して建つ歴史博物館が「みなとぴあ新潟市歴史博物館」。新潟は北前船の寄港する湊町で、全国各地の物産や文化の集散地でした。湊から河川を使って物資は流通し、江戸時代には商業基地として大いに繁栄したのです。明治の開港以降の発展を

萬代橋

新潟市の旧市街と新市街を結ぶ全長307mのアーチ橋が萬代橋(ばんだいばし)。信濃川に架かるこの橋が、初めて建造されたのは、明治19年。当時は萬代橋(よろずよばし)と呼ばれた木橋で、全長782mと国内最長を誇っていました。当時の新潟県は日本で

朱鷺メッセ

新潟県新潟市中央区万代島、信濃川が日本海に注ぐ万代島地区にある複合コンベンション施設が朱鷺メッセ(ときめっせ)。国際会議場や大規模な展示場をそなえた新潟コンベンションセンターと、日本海側最高の、地上140.5m31階の万代島ビルをあわせた複

道の駅新潟ふるさと村

新潟県新潟市西区を走る国道8号沿いにある新潟県の観光と物産を県内外の人々に広く紹介する施設が道の駅新潟ふるさと村。6.4haの広大な敷地には、チューリップなど季節の花が開花する花畑と「アピール館」、土産販売と食事の「バザール館」、「ふるさと

大人の休日倶楽部・新潟県「料亭文化篇」で紹介の鍋茶屋はここ!

吉永小百合が旅するテレビCMで注目のJR東日本大人の休日倶楽部。平成31年夏に放送されたCMは、新潟県「料亭文化篇」。登場するのは、古町花街の隆盛を今に伝える料亭「鍋茶屋」と新潟古町芸妓、そして「みなとぴあ新潟市歴史博物館」から乗船の信濃川

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了