長野県北佐久郡軽井沢町、旧中山道(離山通り)と雲場池通りなどが交わる六本辻の近く、軽井沢霊園の隣接地に、いくつかの十字架が立っていますが、これが外人墓地。軽井沢に移り住んだ外国人やその家族の墓で、大正2年に築かれた墓地です。外国人居留地以外の地域に外国人墓地がある唯一の例となっています。
現在の軽井沢会などによって築かれた外国人の眠る墓地
明治時代に外国人宣教師によって避暑地として見出された軽井沢には、戦前には多くの外国人が別荘を構えました。
戦時下でもドイツや、中立国だったアルゼンチンなどの大使やその家族は、軽井沢、日光で暑い東京を避けて過ごしていました。
軽井沢にある外人墓地は、大正2年、外国人避暑客による公益委員会(現在の軽井沢会)と東長倉村(現・軽井沢町)の村人によって開かれたもの。
医師のニール・ゴードン・マンロー(横浜・三ツ沢貝塚を発見、関東大震災で軽井沢に転居、晩年は北海道・二風谷で生活)、ドイツ人元外交官フレデリック・デラトロベ、ドイツ語教員ロベルト・シンチンゲルなどの墓があります。
霊園の北東側に隣接する場所で、霊園とは入口が別にあり分かりづらいので、訪れる人も皆無。
古びた十字架にドイツ語、ロシア語、英語などが刻まれ、軽井沢の歴史をしのぶことができます。
外国人たちが「テーブルマウンテン」(Table Mountain)と呼び、ピクニックに出かけた離山が借景に。
ここから8分ほどで、白樺、モミジなどに囲まれ、外国人宣教師たちが「スワンレイク」(Swan Lake)と呼んだ雲場池(くもばいけ)に到着。
カラマツ林が美しい、旧軽井沢エリアに眠る歴史スポットです。
神宮寺が管理する軽井沢霊園の通常の入口は、駐車場のある旧中山道(離山通り)沿いですが、外人墓地に関しては一本東側の通り、墓地の北東隅にレンガ風の入口が設けられています。
外人墓地(軽井沢) | |
名称 | 外人墓地(軽井沢)/がいじんぼち(かるいざわ) |
所在地 | 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢 |
電車・バスで | JR・しなの鉄道軽井沢駅から徒歩15分 |
ドライブで | 上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約12km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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