佐紀高塚古墳

佐紀高塚古墳

奈良県奈良市山陵町、ヤマト政権の王墓を多く含む佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)の1基、佐紀石塚山古墳(墳丘長218mの前方後円墳)の南に隣接して築かれているのが、佐紀高塚古墳(さきたかつかこふん)。宮内庁により、第48代称徳天皇(第46代孝謙天皇重祚)の陵に治定されています。

女帝・称徳天皇孝謙天皇重祚)の陵墓とされる古墳

佐紀高塚古墳

墳丘長127mの前方後円墳で、周濠が巡っています。
宮内庁が管理する高野陵(たかののみささぎ)のため発掘調査が行なわれず、埋葬施設も不明です。
古墳時代前期後半の4世紀代の築造と推定されますが、隣接する佐紀石塚山古墳、佐紀陵山古墳が200m超という大型で、しかもそれらの古墳と墳丘主軸の方角も異なるので、被葬者は、ヤマト政権の大王に随伴するランクだったと推測できます。

『続日本紀』によれば、称徳天皇は宝亀元年(770年)に西宮寝殿で崩御、大和国添下郡佐貴郷の「高野山陵」に葬ったと記載され、平安時代編纂の『延喜式』諸陵寮にも大和国添下郡の「高野陵」だとされています。
女帝・称徳天皇(孝謙天皇重祚)は、聖武天皇と光明皇后の娘で、西大寺を建立し、日本史上唯一の出家したままで即位(重祚)した天皇で、称徳天皇と寵愛を受けた道鏡による治世を行なっています(宇佐八幡宮が「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を出したという宇佐八幡宮神託事件も勃発、称徳天皇没後に道鏡は下野国の薬師寺へ配流)。

称徳天皇の真陵は、西大寺西方だと推測されていますが、まだ特定されていません。

佐紀高塚古墳
名称 佐紀高塚古墳/さきたかつかこふん
所在地 奈良県奈良市山陵町
関連HP 奈良市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近鉄平城駅から徒歩10分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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