明治維新まで戸隠山顕光寺(神仏習合)の霊地として繁栄した、長野県長野市戸隠。その戸隠山顕光寺の本坊だったのが、現在の戸隠神社旧本坊勧修院久山館で、宿坊を営む傍ら、宿坊の食事処を昼間には「そば処ひさやま」として営業。自慢の戸隠そばを味わうことができます。
かつての戸隠信仰の中核(本坊)で、そばを味わう
江戸時代には、徳川幕府の庇護のもと、戸隠山顕光寺は、上野の東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)の末寺となり、東北から近畿にまで戸隠講の信者を配して繁栄しました。
その本坊として中枢を担ったのが、勧修院(かんじゅいん)で、代々にわたって別当を務めていました。
明治維新の神仏分離、廃仏毀釈で戸隠山顕光寺は、戸隠神社となり、旧本坊勧修院も久山館(ひさやまかん)として、時代の荒波を生き延びたのです(最後の別当66代・慈谿は、還俗して久山理安となり戸隠神社宮司に転じて重責を担っています)。
宿坊として生まれ変わった久山館は、寝殿造りの本館(毎朝祈祷が行なわれる神殿のほか客室もあります)、そして新館に分かれていますが、新館1階にあるのが「そば処ひさやま」です。
自慢の戸隠そばは、そば本来の風味を損なわないようにと、石臼挽きのそばを使い、つなぎには米粉を使っています。
店の奥でそばを打つのがガラス越しに見学でき、「挽きたて・打ちたて・茹でたて」のいわゆる3たてのそばを堪能できます。
通常のざるそばなどのほか、「季節の蕎麦御膳」、甘味のそばだんごなども用意されているので、好みに応じて注文を。
客室は、全7室(本館和室3室・新館和室4室)で、宿泊すれば、毎朝のご祈祷に参加することもできます。
また、戸隠神社と久山館で、神前の挙式、披露宴も可能です。
戸隠本坊勧修院の別当は、将軍にお目見えも
江戸時代の戸隠は、天海僧正の威光を背景に、東叡山寛永寺の末となり、1000石の御朱印地を有して繁栄しました。
別当となる勧修院がこれを差配し、本坊御役所となった勧修院には、奉行、代官、寺侍、役僧が配されたのです。
別当は御朱印地の地頭として領内の民政を司り、一山五十三坊の取り締まりを行なっていました。
勧修院入口に現存する「守護不入の碑」は、守護・地頭であっても、ここの地には入ることが許されないという証で、戸隠山の権威を示したものです(罪を犯した者でも、戸隠の地に入れば、清浄な空気と神仏の力で心が浄化されるとされていました)。
別当は朱印地の領主として、江戸に出て将軍に拝謁することもあるという格式の高さを誇り、比叡山または東叡山から転任、院代や代官を引き連れて入山する場合もありました。
本坊・勧修院の前には弁天池を掘り、弁天島に辨財天を祀りましたが、この九頭龍辨財天は、今も久山館に祀られています。
なお、勧修院の歴代別当の墓所は戸隠中社に残されています。
そば処ひさやま(戸隠神社旧本坊勧修院 久山館) | |
名称 | そば処ひさやま(戸隠神社旧本坊勧修院 久山館)/そばどころひさやま(とがくしじんじゃきゅうほんぼうかんじゅいんいん ひさやまかん) |
所在地 | 長野県長野市戸隠3515-1 |
関連HP | 戸隠神社旧本坊勧修院 久山館公式ホームページ |
電車・バスで | JR長野駅からループ橋経由戸隠高原行きバスで1時間、中社宮前下車、すぐ |
ドライブで | 上信越自動車道信濃町ICから約19km、長野ICから約30km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | そば処ひさやま(戸隠神社旧本坊勧修院 久山館)TEL:026-254-2311/FAX:026-254-2312 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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