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海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)

海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)

長崎県佐世保市上町、海軍士官の会合などに使われていた佐世保水交社。その洋風建築の一部を修復し、新館を増設して平成9年に完成したのがこの海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)。日本の海軍の軌跡とともに、海軍の街として歩んできた佐世保の歴史を詳細に紹介する施設です。

「海軍の街」佐世保で海軍の軌跡を知る

旧館は佐世保水交社の八角形装飾屋根や蛇腹模様を再生したもの。
7階建ての新館(セイルタワー)は、展示テーマ「波とうを越えて」を反映させ、正面にはガラスを用いて青く広大な海原を、頂部の造形で純白の帆(セイル)を表現しています。

新館(セイルタワー)1階は、企画・特別展示会場と売店、2階が海上自衛隊の装備、活動(南極観測船、災害派遣、海外派遣など)、3階が海上自衛隊の艦船、歴史、4階が太平洋戦争、5階が日清戦争、日露戦争、6階が長崎海軍伝習所から佐世保鎮守府開設までの歩み、7階が佐世保港や米海軍佐世保基地を一望にする展望所、そして海上自衛隊のPR映画を上映する映像ホールになっています。
つまり、入館者はいったんエレベーターで7階に昇り、1階ずつ降りていく仕組み。

旧館(佐世保水交社)は、1階に事務室と応接室、2階に図書史料室、展示ルームとなっています。

佐世保水交社は、海軍士官の懇談、外国艦隊士官の接待、艦隊乗組士官の宿泊場として設けられた施設で、大ホール、大食堂を備えた鉄筋コンクリート2階建て(一部3階建て)。
戦後は米軍に接収され、将校クラブ(タウンクラブ)として使われていますが、八角形の装飾屋根、玄関周りの意匠に水交社時代の面影を残しています。

海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)の館内では、安政2年(1855年)、江戸幕府が海軍士官養成のため長崎海軍伝習所を開設、つまり長崎で日本海軍が誕生したことを紹介するジオラマを皮切りに、日清・日露戦争、太平洋戦争、そして戦後創設された海上自衛隊と海軍の歴史を、俯瞰的に学ぶことができます。
佐世保は第二次世界大戦後、米軍(連合国軍第6軍第5海兵軍団)が進駐しますが、同時に針尾島・浦頭港が、舞鶴港、博多港と同様に戦地からの引き揚げ港となり、昭和25年まで朝鮮半島などからの引き揚げ者の上陸地にもなっています。

昭和25年1月13日、佐世保市議会で当時の中田市長は「平和宣言」を朗読し、満場一致で承認されていますが、昭和25年6月25日未明、北朝鮮人民軍が北緯38度線を越えて韓国への侵攻を開始し、朝鮮戦争が勃発。
日本海軍時代の佐世保鎮守府の施設は、昭和26年9月8日の日米安保条約の締結によって米軍施設に転用され、海上自衛隊の佐世保地方総監部も配置され(昭和29年に海上自衛隊発足)、再び軍港としての機能を有することになったのです。

また売店では、部隊識別帽、各艦の艦バッチなどユニークなグッズも販売。

旧佐世保水交社(海上自衛隊佐世保史料館)は、佐世保鎮守府庁・海兵団関連施設群として日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成資産になっています。

海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)
名称 海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)/かいじょうじえいたいさせぼしりょうかん(せいるたわー)
所在地 長崎県佐世保市上町114-2
関連HP 海上自衛隊佐世保史料館公式ホームページ
電車・バスで JR佐世保駅からタクシーで10分または佐世保駅前から佐世保市バス、西肥バス鹿子前・日野峠方面行きで15分、元町下車、徒歩2分
ドライブで 西九州自動車道佐世保中央ICからすぐ
駐車場 20台/無料
問い合わせ 海上自衛隊佐世保史料館受付 TEL:0956-22-3040/FAX:0956-24-2114
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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