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島原湧水群・白土湖

島原湧水群・白土湖

長崎県島原市の市街地にある小さな湖が白土湖。寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)で、寺の墓地だった一帯が陥没し、大量の地下水が湧出して湖が誕生したもの。「日本最小の陥没湖」ともいわれています。

「島原大変肥後迷惑」で誕生した陥没湖

後に音無川が開削され、湖の規模は往時の4分の1ほどに小さくなっていますが今も1日4万tの水が湧き出しています。
「日本で最も小さな陥没湖」といわれていますが、誕生当時は白土湖の出現で、島原街道は寸断され、イカダを組み立てて湖を渡るほどだったとか。
そのために翌年春に開削された排水路が音無川です。

音無川の水路のあたりがかつての海岸線で(工事を早く終わらすために緩やかな傾斜地を選んだため)、海岸線ゆえに傾斜がほとんどないため、川の水も音を立てずに流れるのがその名の由来です。
島原湧水群には眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)以前からある溶岩泉(溶岩などの透水層が重なり、その間を通って流れ出る水)と、眉山崩壊時の地殻変動で、水の通り道が塞がれたり、地割れが生じたことで湧出する水の2タイプがありますが、白土湖は典型的な眉山崩壊の地殻変動型湧水。

寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)は、肥後迷惑という言葉通り、対岸の肥後国(熊本県)にも被害が及んだ歴史的な自然災害でしたが、今ではその恩恵を「島原のおいしい水」として受けているのです。
白土湖畔には共同洗い場、そして松平忠房(まつだいらただふさ)とともに京から移住し、水の恵みを活かし明治17年に日本酒の醸造を始めた山崎本店酒造場もあります。

島原湧水群は島原半島世界ジオパークのジオサイト(自然の恵み)にもなっています。

島原湧水群・白土湖
名称 島原湧水群・白土湖/しまばらゆうすいぐんしらちこ
所在地 長崎県島原市白土町
関連HP 島原市公式ホームページ
電車・バスで 島原鉄道島鉄本社前駅から徒歩14分。または、南島原駅から徒歩15分
ドライブで 長崎自動車道諫早ICから約42km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 島原市しまばら観光おもてなし課 TEL:0957-63-1111/FAX:0957-62-8006
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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