有馬のセミナリヨ跡

有馬のセミナリヨ跡

キリシタン大名・有馬晴信(ありまはるのぶ)の領有する日野江城下に、天正8年(1580年)、ヨーロッパのイエズス会が開いた初等教育機関がセミナリヨ。現在の南島原市本町・三尺町地区に慶長6年(1601年)〜慶長17年(1612年)の間に置かれ全盛を誇った有馬のセミナリヨの跡に石碑が立っています。

このセミナリヨから天正遣欧少年使節の4名が選ばれた!

天正7年(1579年)、イエズス会東インド管区の巡察師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)が島原半島の南端の湊、口之津に降り立ちますが、その翌年天正8年(1580年)には、有馬晴信は、自ら洗礼を受けて信者になっています。
島原半島を領有し、経済力を蓄えるためには、イエズス会への接近が賢明と考えたと推測され、天正8年(1580年)には、織田信長の築いた安土城下(安土セミナリヨ=現・滋賀県近江八幡市安土町下豊浦のセミナリヨ史跡公園)と、有馬晴信の領有する日野江城下にセミナリヨが築かれました。

禁教令などのためセミナリヨは領内の八良尾、加津佐(かづさ)、有家、そして長崎へと移っていますが、慶長6年(1601年)に再び日野江城下築かれています。

このセミナリヨからヴァリニャーノの企画した天正遣欧少年使節の4名が選ばれ、1582年2月20日(天正10年1月28日)に長崎を出発し、スペイン国王フェリペ2世、ローマ教皇グレゴリウス13世らに謁見しています。
1590年7月21日(天正18年6月20日)、長崎に帰国し、ヴァリニャーノとともに日野江城に戻っています。

この時の4名が、伊東マンショ(主席正使)、千々石ミゲル(正使)、中浦ジュリアン(副使)、原マルティノ(副使)です。

有馬のセミナリヨ跡
名称 有馬のセミナリヨ跡/ありまのせみなりよあと
所在地 長崎県南島原市北有馬町三尺町
関連HP 南島原ひまわり観光協会公式ホームページ
ドライブで 長崎自動車道諫早ICから約48km
駐車場 なし/北有馬ピロティー文化センター駐車場を利用
問い合わせ 南島原ひまわり観光協会 TEL:0957-65-6333/FAX:0957-65-6336
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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