観音崎砲台・北門第二砲台跡

観音崎砲台・北門第二砲台跡

東京湾の入口に突き出した観音崎(神奈川県横須賀市)は、幕末に江戸湾防備の台場が、さらに明治以降は首都圏防衛の東京湾要塞の観音崎砲台が築かれた場所。北門第一砲台、北門第二砲台は初期に築かれた砲台で、観音埼船舶通航信号所の南側に、北門第二砲台跡が残されています。

日本で最初に着工された近代砲台がこの第二砲台!

観音崎砲台・北門第二砲台跡

神奈川県横須賀市の観音崎・走水地区にある観音崎砲台は日本で初めて建設された西洋式砲台。
北門第二砲台は、明治13年5月着工(起工日は北門第一砲台より早く、日本近代砲台として最初に着工された砲台)、明治17年6月竣工(北門第一砲台と同じ)。

明治10年代の築造のため、レンガはフランドル積み(フランス積み)。
近代日本の要塞は、江戸幕府のフランス式の軍制を引き継ぎ、明治5年、フラ ンス陸軍中佐シャルル・アントワーヌ・マルクリー(Charles Antoine Marquerie=明治政府招聘で明治5年に来日したフランス軍事顧問団団長)が設置場所を選定するなど、フランス軍の指導を受けていたのです。

明治22年に19糎加農砲(19cmカノン砲)1門を設置。
その後、24糎加農砲(24cmカノン砲)などを増強。

当初は清国海軍(北洋艦隊)と、後にロシア海軍(バルチック艦隊)の東京湾侵入を想定していました。
明治27年7月25日に勃発した日清戦争に際し、明治27年9月には24糎加農砲(24cmカノン砲)を設置し、東京湾内湾への敵艦船の侵入阻止、横須賀・長浦両軍港の防御にあたったのです。
南北に弧を描き6つの砲座が並び、第一砲座から階段状に低くなる構造から「だんだん砲台」とも呼ばれています。
観音寺公園の園路からは、第二砲台隧道で結ばれ、隧道内にはレンガ造洞窟式弾薬庫跡、第一砲座の砲側弾薬庫の開口部があります。
第一、第二、第三砲座の台座と、砲座間の横墻(おうしょう=待避所でかつ砲座の防御壁)、レンガ造砲側弾薬庫が現存しています。

観音崎・走水と富津岬(千葉県)は東京湾口の最も狭まった場所。
もっとも迎撃しやすいという地理関係、さらには観音崎が断崖の上の山で、砲台が築きやすいという地の利があったのです(富津岬は砂州)。

観音崎砲台・北門第二砲台跡
名称 観音崎砲台・北門第二砲台跡/かんのんざきほうだい・きたもんだいにほだいあと
所在地 神奈川県横須賀市鴨居
関連HP 観音崎公園公式ホームページ
電車・バスで JR横須賀駅から京浜急行バス観音崎行きで行きで35分、終点下車
ドライブで 横浜横須賀道路馬堀海岸ICから約3.5km
駐車場 観音崎公園県営駐車場(312台/1月1日〜3日、GW、7月〜8月、土・日曜、祝日は有料、その他の期間は無料)
問い合わせ 観音崎公園パークセンター TEL:046-843-8316
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
観音崎砲台・北門第一砲台跡

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