観音崎砲台・北門第三砲台跡

観音崎砲台・北門第三砲台跡

神奈川県横須賀市にある県立観音崎公園は、明治時代に築かれた東京湾要塞の遺構が残されています。眺めのいい「海の見晴らし台」近くにあるのが観音崎砲台・北門第三砲台跡。尾根沿いに続く敷石の園路からレンガ造りの第三砲台隧道を抜けると、砲座の跡があり、さらに進むと海を眺める「海の見晴らし台」があります。

左砲座跡は「海の見晴らし台」になっている

観音崎砲台・北門第三砲台は、第一、第二砲台に続いて明治15年8月に起工し、明治17年6月に竣工。
明治27年の日清戦争開戦を受け、清国艦隊の襲来を予測し、二十八糎榴弾砲(にじゅうはちせんちりゅうだんほう)を4門設置しています。
二十八糎榴弾砲は、大日本帝国陸軍が開発し、明治25年から量産された対艦用の海岸砲です。

尾根筋などに観測所が設置され、敵艦船を見つけると伝声管で位置が伝えられる仕組み。

左右対称に2砲座がありましたが、左砲座が取り壊され、「海の見晴らし台」になっています。
レンガはフランドル積み(フランス積み)が基本ですが、隧道部分は地震に強いイギリス積みで補強されています。
関東大震災で大きな被害を受け、大正14年7月に砲台としての役目を終えています。

名称 観音崎砲台・北門第三砲台跡/かんのんざきほうだい・きたもんだいさんほだいあと
所在地 神奈川県横須賀市鴨居
関連HP 観音崎公園公式ホームページ
電車・バスで JR横須賀駅から京浜急行バス観音崎行きで行きで35分、終点下車
ドライブで 横浜横須賀道路馬堀海岸ICから約3.5km
駐車場 観音崎公園県営駐車場(312台/1月1日〜3日、GW、7月〜8月、土・日曜、祝日は有料、その他の期間は無料)
問い合わせ 観音崎公園パークセンター TEL:046-843-8316
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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