長崎県五島市池田町にある幕末に築かれた福江藩(五島藩)の城が福江城(石田城)。二の丸跡に鎮座するのが城山神社で、その宮司を務めるのは第35代五島家当主・五島典昭さんで、実は福江城(石田城)は、日本で唯一の個人所有の城なのです。
第35代五島家当主・五島典昭さんが宮司
寛永14年(1637年)、江戸幕府は福江藩(五島藩)に異国船方(異国船に対する沿岸防備役)を命じ、福江藩は番岳、奈留島・遠見番山、嵯峨ノ島(日本最西端の遠見番所)など領内の7ヶ所に遠見番所を設置。
常時馬廻役1名、足軽2名の見張り番を置いていました。
幕末になって、異国船の来航が増加すると、福江藩(五島藩)は、福江城を築いて藩庁を石田陣屋から福江城に移すことを考え、江戸幕府のを裁可を受け、文久2年(1863年)、第11代藩主・五島盛徳(ごとうもりのり)の代に完成しています。
つまり、幕末に日本最後の城として完成したのが福江城(石田城)です。
築城を幕府に申請した五島家30代当主・五島盛成(ごとうもりあきら)の隠居所として二の丸に建てられた五島邸、その庭園である五島氏庭園(国の名勝)が現存。
同じ二の丸跡、五島市立図書館近くにあるのが、城山神社です。
主祭神は保食神 (うけもちのかみ)ですが、五島氏のルーツとされる宇久次郎家盛(平家盛)、五島氏初代の五島純玄(ごとうすみはる)、そして元寇で活躍した宇久競(うくきおい)を合祀しています。
平家盛(たいらのいえもり)は、壇ノ浦の戦いの後、平家残党の追討を逃れて宇久島に移り住み、宇久次郎家盛と名乗って宇久氏の祖となったという伝承があります。
永徳3年(1383年) 、9代・宇久覚(うくさとる)の時代に、高麗(朝鮮)との対外貿易を積極的に展開できるようにと、五島列島の主島である福江島に本拠を移し、五島を名乗ったことから、平家盛が五島氏の祖とされているのです。
城山神社は、9代・宇久覚が始祖・宇久次郎家盛(平家盛)の霊を祀るために建立したことに始まり、29代・五島盛繁(ごとうもりしげ)の代になって、元寇に参加して殊勲のあった宇久競、豊臣秀吉の文禄の役に戦功があった五島純玄を合祀した「勝」にこだわった神社となっています。
城山神社には五島氏の歴史が凝縮し、授与品には城山神社特製の「勝守」があります。
城山神社(福江城) | |
名称 | 城山神社(福江城)/しろやまじんじゃ(ふくえじょう) |
所在地 | 長崎県五島市池田町1-3 |
電車・バスで | 福江港から徒歩10分 |
ドライブで | 福江港から500m |
駐車場 | 五島観光歴史資料館共通駐車場(15台/無料) |
問い合わせ | 五島市観光物産課 TEL:0959-72-6111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag