長崎県長崎市南山手町、グラバー園内、グラバー住宅の背後にある旧自由亭横に立つのが、西洋料理発祥の碑。全国のコックで組織される全日本司厨士協会が、発祥の地を調査した結果、文久3年(1863年)、長崎に開店した西洋料理店「良林亭」(後に自由亭)が、西洋料理発祥だと判明したのです。
文久3年、草野丈吉は西洋料理店「良林亭」を開店
草野丈吉(くさのじょうきち )は、安政5年(1858年)、出島商館の出入り商人でコンプラドール(食糧の買い物係)・増永文治の紹介で出島のオランダ人屋敷でコックの見習いとして働き始めます。
安政6年5月28日(1859年6月28日)、横浜、箱館とともに長崎が開港すると、翌年安政7年2月には、オランダ総領事デ・ウィットにボーイ・料理人兼洗濯人として雇われ、西洋料理の腕を磨きながら神奈川、江戸、箱館などへの出張にも付き添い、見聞を広めます。
文久3年(1863年)、デ・ウィットの帰国を期に、独立して実家に戻り、熊本出身のユキと結婚、薩摩藩士・五代友厚(ごだいともあつ=後に実業家となり大阪商船、阪堺鉄道などを設立)の勧めもあって伊良林若宮稲荷神社の下に西洋料理店「良林亭」を開店します。
実は、その頃、すでに長崎には西洋料理を出す店は数軒ありましたが、いずれも和食も西洋料理も出す店で、初の洋食専門店が「良林亭」だったのです。
自宅を改造した6畳1間の店で、前日までの予約、しかも今の値段に換算すれば2万円近いという高級料理店ながら、大繁盛。
元治元年(1864年)に、若宮神社参道の中ほどに移転し、さらに高級料理店に変身。
店名は海軍伝習所の一期生・佐野常民(さのつねたみ=佐賀の七賢人で、後に日本赤十字社を設立)の助言で「自由亭」と変わり、後に実業家としても頭角を現し、大阪・川口居留地の世話人である五代友厚の招きで、明治2年、ホテル兼レストラン「自由亭ホテル」(大阪初の洋式ホテル)を開業したため、長崎の自由亭はいったん閉店しています。
自由亭は神戸、京都、長崎に支店を出し、明治10年、京都〜神戸間の鉄道開通の式典では、明治天皇に牛肉など西洋料理を出しています(明治天皇は肉嫌いでした)。
現存する自由亭の建物は明治11年、馬町に支店として再開した店で、昭和48年、グラバー園内に移築されたため、グラバー園の旧自由亭脇に西洋料理発祥の碑が立っているのです。
碑文
わが国西洋料理の歴史は、16世紀中頃 ポルトガル船の来航に始まり、西洋料理の味と技は 鎖国時代、唯一の開港地 長崎のオランダ屋敷からもたらされた。
1800年代にいたり 横浜、神戸、函館などが開港され、次第に普及し、更に東京を中心に 国内に大きく輪を広げ、 日本人の食生活に融和され 現在の隆盛となった。
ここに西洋料理わが国発祥を記念してこの碑を建てる。
1977年 社団法人 全日本司厨士協会
西洋料理発祥の碑 | |
名称 | 西洋料理発祥の碑/せいようりょうりはっしょうのひ |
所在地 | 長崎県長崎市南山手町8-1 |
関連HP | グラバー園公式ホームページ |
電車・バスで | JR長崎駅から正覚寺下行き路面電車で5分、築町で乗り換え、石橋行きで3分、大浦天主堂下下車、徒歩7分 |
ドライブで | 長崎自動車道長崎ICから約4.5kmで市営松が枝町第2駐車場 |
駐車場 | 市営松が枝町第2駐車場(94台/有料) |
問い合わせ | グラバー園管理事務所 TEL:095−822−8223/FAX:095−823−3359 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag