伊王島灯台記念館

伊王島灯台記念館

長崎県長崎市、幕末に徳川幕府と列強4ヶ国で結ばれた江戸条約で設置が決まった条約灯台のひとつが、伊王島北端の伊王島灯台。灯台と同様にブラントン設計の吏員退息所(灯台守の宿舎/長崎県の有形文化財)は、伊王島灯台記念館として再生され、無料で見学ができます。

当初は外国人の灯台守が住んでいたため、内部も洋風

伊王島灯台記念館

幕末の慶応2年(1866年)、列強4ヶ国(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ)との間で締結された江戸条約に基づき設置された条約灯台・全国8灯台のひとつ、伊王島灯台。
開港した長崎港への入出港を守る重要な灯台として、オランダの強い要望を受けて建設が決まりました。
建設は明治政府に受け継がれ、当時、近代的な灯台を見たこともなかった幕府、明治新政府は当初、フランスに(フランス人技師・ヴェルニー)後にイギリスに支援を求め、「灯台の父」と称されるリチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton/イギリス人技師)が、伊王島灯台と、併設の吏員退息所を設計しています。

地元の大工・大渡伊勢吉が建設を担い、吏員退息所の完成は明治10年。
明治時代初期の洋風建造物で、平屋建て桟瓦葺き。
日本最古の無筋コンクリート構造という貴重なものです。
建設当初から10年ほどは、灯台の保守点検の技術を日本人に教えるため、外国人の灯台守が住んでいたため、内部も暖炉が配された洋風の造りに。

使用されたセメントは舶来品と推測されますが、セメントがあまりに高価だったため(セメントが普及するのは大正時代)、石灰などが混入された形跡があります(石灰、火山灰、レンガ屑を混入するのは明治末期までの一般的工法)。
砂と砂利は付近の海岸から調達しています。

灯台自体は原爆の爆風で倒壊していますが(ドーム部分と基部は往時のまま)、吏員退息所はそのままに現存し、長崎市伊王島灯台記念館として再生されています。

昭和46年に無人化されるまでは宿舎として使用されてきた建物で、館内では「遠見台場と伊王島」、「洋式灯台の変遷」、「伊王島灯台の歴史」、「光源の変遷と灯器類」、「明治灯台退息所と伊王島灯台退息所」、「伊王島灯台に関係ある人物及び文献」の6つのテーマで伊王島灯台を詳しく解説。

画像協力/長崎市

伊王島灯台記念館
名称 伊王島灯台記念館/いおうじまとうだいきねんかん
所在地 長崎県長崎市伊王島町1-3240-1
関連HP 長崎市公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅からバス伊王島ターミナル行きで約48分、伊王島ターミナル下車、 コミュニティ線伊王島灯台行きで5分、伊王島灯台下車、徒歩3分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約20km
駐車場 伊王島灯台公園駐車場(14台/無料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
伊王島灯台

伊王島灯台

長崎県長崎市の伊王島にある六角形の灯台。幕末の慶応2年(1866年)、列強4ヶ国(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ)との間で締結された江戸条約に基づき設置された条約灯台・全国8灯台のひとつ。明治3年6月に仮点灯、明治4年7月30日に本

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