サイトアイコン ニッポン旅マガジン

こうもり塚古墳

こうもり塚古墳

岡山県総社市の吉備路風土記の丘にある全長約100mの前方後円墳がこうもり塚古墳(国の史跡)。松林に覆われた後円部には、巨大な石を用いた全長19.4mの横穴式石室があり、その規模は全国でも最大。箭田大塚古墳、牟佐大塚古墳と並んで、岡山県下三大巨石墳に数えられています。

巨大な横穴式石室が現存する吉備の大首長の墓

その名の通り、発掘当時、無数のコウモリがいたという広大な石室には、貝殻石灰岩(現・井原市の浪形山で産出)の家形石棺が納められており、外から見学することが可能。
土を焼いて作った陶質の棺も安置されていましたが、吉備でも最古の陶棺となっています。

出土した環頭太刀(かんとうたち=中国から古墳時代中期に伝播した刀剣で柄頭の装飾の形状が環状をなすもの)は、中央から地方豪族に分与されたものと推測されています。

6世紀後半(古墳時代後期〜終末期)の築造とされ、その時代では吉備地方最大の古墳。
埋葬者は不明ですが、吉備の大首長の墓と推測されています。

一説には仁徳天皇との恋物語で有名な黒媛(くろひめ)の墓ともいわれますが、仁徳天皇は4世紀とされ、時代が合わないことに。

貝殻石灰でつくられた家形石棺
こうもり塚古墳
名称こうもり塚古墳/こうもりづかこふん
所在地岡山県総社市上林
関連HP総社市公式ホームページ
電車・バスでJR総社駅から中鉄総社バス総社・山手循環線で15分、備中国分寺下車、徒歩5分
ドライブで中国自動車道岡山総社ICから約3.5km
駐車場風土記の丘駐車場(200台/無料)
問い合わせ総社市観光プロジェクト課 TEL:0866-92-8277
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

箭田大塚古墳

牟佐大塚古墳(円墳・直径30m)、こうもり塚古墳(前方後円墳/墳長100m)と並び、岡山県三大巨石墳に数えられるのが倉敷市にある箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)。6世紀後半〜7世紀に築造された円墳で、直径54m。明治34年の学術調査で、刀

牟佐大塚古墳

岡山市にある6世紀末(古墳時代後期〜終末期)に築造されたと推測される円墳が牟佐大塚古墳(むさおおつかこふん)。国の史跡に指定され、箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)、こうもり塚古墳と並んで、岡山県三大巨石墳のひとつ。裾部が道路で削られていま

備中総社宮

平安時代、国庁に赴任した国司が国中の神社を巡る手間を省くため、国府の近くに造られたのが、総社。古代、備中国府が置かれたときに、備中の主な神社、324社の神を合祀して創建されたのが総社市の備中総社宮です。本殿は昭和54年の再建ですが、前庭の古

備中国分尼寺跡

岡山県総社市、備中国分寺(備中国分寺の後継寺院)と礎石などの残る備中国分寺跡の東に位置する古代の寺院跡が備中国分尼寺跡。天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)により、全国に建立された国分尼寺(法華滅罪之寺)のひとつ。寺域は東西1

備中国分寺跡

天平13年(741年)に聖武天皇の詔(みことのり)で諸国に一寺ずつ造られた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつで備中国(びっちゅうのくに=現在の岡山県西部)に建立されたのが備中国分寺。岡山県総社市にある後継寺院、備中国分寺周辺に備中国分寺

造山古墳

岡山県立歴史公園、吉備路風土記の丘に含まれる古墳群のひとつで、国の史跡に指定されるのが岡山市北区にある造山古墳(つくりやまこふん)。古墳時代中期、5世紀初めの建造と推定される前方後円墳で、全長350m、高さ24m。日本で4番目の規模を誇り、

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了