首里城・瑞泉門

首里城・瑞泉門

首里城の登城ルートで、歓会門の先にある2番目の門が瑞泉門(ずいせんもん)で、石造のアーチを設けない楼門形式の門。その名の通り「めでたい泉」といわれる湧水「龍樋」(りゅうひ)が門前にあるため瑞泉門の名がついたもの。俗に「樋川御門」(ふぃじゃーうじょう)と呼ばれています。

首里城第二の門は、記念撮影に大人気の門

首里城空撮 Photo Map
首里城空撮 Photo Map

瑞泉門の創建は、1470年頃。
尚真(しょうしん)王の時代に歓会門や久慶門ができるまでは、この瑞泉門が首里城の正門でした。

戦前は国宝でしたが残念ながら沖縄戦で焼失。
現在の門は戦後の再建。

美しいカーブを見せる石段の先にあるので記念撮影の人気ポイントとなっています。
門の両脇には一対の石獅子「シーサー」が配されています。

門前にある龍樋は、龍の口から湧水が湧き出す水飲み場。
王宮の飲料水として使われていたもので、1719年に中国から琉球に来た冊封使(さっぽうし)の徐葆光(じょほこう)は、「中山第一」(琉球第一の泉)と讃えています。

なお、首里城は、日本100名城、そして世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に選定されています。

首里城・瑞泉門
首里城・瑞泉門
名称首里城・瑞泉門/しゅりじょう・ずいせんもん
所在地沖縄県那覇市首里金城町1-2
関連HP首里城公園公式ホームページ
電車・バスでゆいレール首里駅から徒歩12分
ドライブで沖縄自動車道那覇ICから約2.2km
駐車場首里杜館地下駐車場/有料
問い合わせ首里城公園管理センター TEL:098-886-2020
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
龍樋

龍樋

沖縄県那覇市、首里城の瑞泉門の門前にある琉球石灰岩の間から清冽な水が湧き出す樋口が龍樋。龍の口から湧水が湧き出す場所で、王宮の飲料水として使われていました。1719年に中国から琉球に来た冊封使(さっぽうし)の徐葆光(じょほこう)は、「中山第

首里城

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