平和之塔(喜屋武岬)

平和之塔(喜屋武岬)

沖縄本島の南端部に位置する喜屋武岬(糸満市)は、第二次世界大戦末期の沖縄戦でも有数の激戦地。昭和27年10月に将兵および沖縄戦の犠牲になった住民の遺骨1万柱を奉納し、喜屋武岬に平和之塔が築かれました。現在の美しいモニュメントのような塔は昭和44年に造られた2代目です。

沖縄戦の犠牲になった住民、帝国陸軍第62師団を弔い平和を祈念する塔

昭和20年4月1日、読谷村の渡具知海岸から北谷海岸一帯に上陸した米軍は、艦船1400~1500隻、兵員約18万3000人、補給部隊を含めると約54万8000人という圧倒的な物量をもって本島中部を占領。

5月下旬には、日本軍第32司令部のある首里城を包囲、猛攻を加えています。
日本軍司令部は首里の放棄を決定し喜屋武半島へ撤退。

本土決戦のための時間稼ぎがおもな目的の撤退で、戦地となる地域の住民を戦力化するという基本方針のため、沖縄住民を含め犠牲は1万人にも及んでいます。
昭和20年6月22日、沖縄本島南端の喜屋武岬周辺で奮戦した帝国陸軍第62師団の藤岡武雄師団長が自決し、沖縄戦は集結しています(7月23日に牛島満軍司令官と長勇参謀長が自決、米軍の掃討作戦の終結は7月2日)。

沖縄戦の悲しい歴史を秘めた喜屋武岬一帯は沖縄戦跡国定公園に指定されています。

平和之塔(喜屋武岬)
名称 平和之塔(喜屋武岬)/へいわのとう(きやんみさき)
所在地 沖縄県糸満市喜屋武
関連HP 糸満市公式ホームページ
電車・バスで ゆいレール旭橋駅から徒歩3分の那覇バスターミナルから沖縄バス、琉球バス糸満線で30分、糸満バスターミナル下車、琉球バス南部循環線喜屋武廻りに乗り換え10分、喜屋武下車、徒歩20分
ドライブで 那覇空港から約16.3km。または、那覇空港自動車道名嘉地ICから約12.1km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 糸満市商工観光課 TEL:098-840-8111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
喜屋武岬

喜屋武岬

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