沖縄県宜野湾市普天間、宜野湾(ぎのわん)北東に位置する神社で、琉球国府から特別の扱いを受けた「琉球八社」(琉球に伝わった真言宗の寺院に付帯した神社)のひとつが、普天満宮。神仏習合時代の普天満権現で、創建は不明ですが、境内の普天満宮洞穴に琉球古神道神を祀ったのが始まりです。
沖縄県中部最大の聖地として参拝者が多い神社
尚金福王(しょうきんぷくおう/在位1450年〜1453年)から尚泰久王(しょうたいきゅうおう/在位1454年〜 1460年)の時代(15世紀中半)に熊野権現を勧請したと伝わっています。
隣接する普天満山神宮寺は別当寺(神仏習合時代に神社を管理する寺)で、明治維新の神仏分離で寺と神社に分かれています。
普天間は、普天満宮・普天満山神宮寺を中心に門前町と発展した町で、嘉数から普天間までの6kmには、琉球王国時代に植付けられた「ジノーンナンマチ」(宜野湾並松)と呼ばれるリュウキュウマツの並木道があり、名所にもなっていました。
社殿は沖縄戦で破壊されたため、現存する建物は戦後に再建されたもの。
沖縄では珍しく境内と入り口と内側に2基の鳥居が立っています。
拝殿裏手には本殿、その背後に全長約280mの鍾乳洞(普天満宮洞穴)があり、奥宮を安置。
洞窟の一部(50m)は一般公開されていて、参拝が可能。
普天間宮の縁起には、首里桃原に女神が出現、普天満宮の洞窟に籠もったという伝承があり、奥宮はまさに聖域中の聖域です。
沖縄戦当時、激戦地となった普天間では、数百人の住民がこの鍾乳洞に避難し、一時的に難を逃れていますが、戦火に追われ、ほとんどの住民がこの洞窟を出て南部で命を落としています。
旧暦9月に中山王などが普天満宮に参詣する普天満参り(「フティマ・ウサンチー」)の習慣があり(1644年、尚賢王の時代に始まったとされる風習)、一般住民の参詣は、「フティマ・メー」あるいは「九月拝み」と称されていました。
首里から普天満宮への参詣の石畳道も整備され、浦添市の「中頭方西海道及び普天満参詣道」 は国の史跡にもなっています。
正月には多くの初詣客で賑わいます。
ちなみに琉球王府から庇護された琉球八社は、普天満宮のほか、末吉宮、波上宮、沖宮、識名宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮です。
普天満宮 | |
名称 | 普天満宮/ふてんまぐう |
所在地 | 沖縄県宜野湾市普天間1-27-10 |
関連HP | 普天満宮公式ホームページ |
電車・バスで | 那覇空港から琉球バスで1時間1分、普天間下車、徒歩2分 |
ドライブで | 沖縄自動車道北中城ICから約1.5km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 普天満宮 TEL:098-892-3344/FAX:098-892-0994 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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