日光東照宮・御本社(拝殿・石の間・本殿)

日光東照宮・御本社(拝殿・石の間・本殿)

日光東照宮でもっとも重要な空間が御本社で、拝殿・石の間・本殿の3つの建物で構成されています。拝殿左右には、「将軍着座の間」・「法親王着座の間」があります。3代将軍・徳川家光の命により寛永13年(1636年)に造営されたもの。本殿に拝殿を石の間で連結するという権現造りの完成形で、国宝になっています。

創建当初の建物は国宝に指定

承応3年(1654年)に屋根の葺き替え、さらに元禄3年(1690年)に本殿基礎(床下)部分の亀腹石の変更が行なわれていますが、それ以外は創建当初の姿をとどめています。

拝殿の唐破風下には徳川家康の干支(えと=寅年)の虎が配されています。
向拝には3個の鈴が下がっていますが、明治初年の神仏分離までは鰐口(わにぐち)が下がっていました。
内部は、中央の間が63畳、東側に「将軍着座の間」、西側に「法親王着座の間」があり、ともに18畳で、合計すると99畳敷という広さです。
「将軍着座の間」の天井中央部には「三つ葉葵」が配され、参詣の将軍は家紋の真下に座して、本殿を拝みました。

東西の着座の間に施された鳳凰(将軍着座の間)・鷹(法親王着座の間)の彫刻は、日光東照宮でも随一といわれる芸術性の高いものです。

諸大名が立ち入ることが許されたのは、拝殿までで、大名の格付けによる座する位置も決められていました。

石の間は人界と神界をつなぐ空間で、本殿は御神体(東照宮=東照大権現)を安置する最も神聖な場所になっています。

本殿の内部は外陣部分にあたる幣殿(へいでん)、内陣、内々陣と、3つの部屋に分かれており、徳川家康は東照大権現として内々陣の「御空殿(ごくうでん)」と呼ばれる厨子に「等身大の家康公の像」が祀られています。


本殿の側面の後部と背面の大羽目には、狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた唐獅子の絵が施されています。
東照宮には5173体の彫刻がありますが、本殿にはなんと2468体もあり、しかも獏(ばく)の彫刻が多いことに特徴があります(東照宮の獏の彫刻78頭のうち54頭が本殿に)。
獏の餌は戦争に使われる鉄や銅といった金属なので、恒久平和の祈りを込めて獏を配しているのではないかとも推測されています。

名称 日光東照宮・御本社(拝殿・石の間・本殿)/にっこうとうしょうぐう・ごほんしゃ(はいでん・いしのま・ほんでん)
所在地 栃木県日光市山内2301
関連HP 日光東照宮公式ホームページ
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで勝道上人像前下車、徒歩10分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約3km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 日光東照宮社務所 TEL:0288-54-0560/FAX:0288-54-0061
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
日光東照宮

日光東照宮

徳川家康の遺言により徳川2代将軍・徳川秀忠が元和3年(1617年)に造営し、3代将軍・徳川家光が現在の形へと大改修(寛永の造替)を行なった徳川家康の霊廟が、栃木県日光市の日光東照宮。「日光を見ずして結構と言うなかれ」という言葉まで生まれた壮

 

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