方広寺・国家安康の鐘

方広寺

京都府京都市東山区にある天台宗の寺、方広寺。豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立したことで知られますが、もうひとつ有名なのが国家安康の鐘。大坂冬の陣・夏の陣の原因とされる、銘文「国家安康・君臣豊楽」が刻まれた鐘ですが、日本三大梵鐘にも数えられています。

豊臣家を滅亡へと導いた鐘を見学

方広寺
方広寺
方広寺鐘銘事件の元になった銘文

豊臣秀吉の創建以降、地震や火災で崩壊した大仏殿は、豊臣秀頼が慶長19年(1614年)に再建。
再建の奉行だった片桐且元(かたぎりかつもと)は、大仏の開眼供養(かいげんくよう)の日時などの了承を得るため、徳川家康の隠居所である駿府城に出向きますが、方広寺の鐘銘に開眼・大仏殿供養日が同日であること、大仏殿棟札・梵鐘銘文が旧例にそぐわないことに加え、「関東不吉之語」があるとし、開眼供養と大仏殿上棟・供養の延期が申し渡されます(駿府城における徳川幕府の政治録・日記『駿府記』に記載)。

鐘に刻まれた銘文「国家安康・君臣豊楽」が、「家康の名を二分して国安らかに、豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ」と読み解けると指摘されたのです(方広寺鐘銘事件)。

林羅山は、「国家安康」に関しては、「国家安康ト書申候、是ハ御諱ヲ犯シ申候、無礼不法ノ至、其上御諱ノ字ノ中ヲキリ申候沙汰之限ノ事」、「君臣豊楽」も「君臣豊楽、子孫殷昌ト書申候、是モ『豊臣ヲ君トシ子孫ノ殷ニ昌ナルヲ楽シム』トヨム下心ナリ、シカレハ下心ニフカク呪詛調伏ノ心ヲカクシテ、秀頼ノ現世ノ祈祷ノ為タル事」と銘文に家康呪詛の意図があると断言し、ついに豊臣方は旧恩のある大名や浪人に檄を飛ばし徳川との最終決戦への備えを始めるのです。

この銘文を考案したのは、東福寺、南禅寺の長老、文英清韓(ぶんえいせいかん)。
加藤清正の帰依を受けて九州に下向し、文禄の役では祐筆として加藤清正に従い朝鮮半島に渡るなど、豊臣方に親(ちか)しい臨済僧のひとり。
豊臣秀吉、豊臣秀頼の五山の学僧として寵遇され、豊臣秀頼の依頼で方広寺の鐘銘を撰文しています。

文英清韓は、片桐且元に同行して駿府の徳川家康に、「国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也」と弁明。

「家康」、「豊臣」というのは「隠し題」という弁明ですが、当時は貴人を実名では呼ばず(家康の場合は「内府」など、官職で呼ぶのが常識)、銘文にはあえて「右僕射源朝臣家康公」とも家康の実名を刻むなど、明らかに豊臣寄りの姿勢、あるいは挑発を感じることができるのです。

同じ南禅寺の僧で徳川方の金地院崇伝(「黒衣の宰相」)に対する挑発だったのか、単なる落ち度とはいえない何かを徳川方が感じ取ったのかもしれません(文英清韓が住持した東福寺の塔頭・天得院も取り壊しに)。
金地院崇伝がm方広寺鐘銘事件を画策したという陰謀説も喧伝(けんでん)されますが、近年の研究では豊臣方に落ち度があったというのが定説になっています。

豊臣家滅亡への引き金となった、国家安康の鐘には、どの部分に問題の「国家安康」、「君臣豊楽」があるのかがわかるようになっているので、じっくりと見学を。

国家安康の鐘に記された銘文

欽惟 豊国神君 昔年 掌普天之下
前文
外施仁政
前征夷大将軍従一位右僕射源朝臣家康公

天子万歳 台齢千秋
銘曰
洛陽東麓 舎那道場 聳空瓊殿 横虹畫梁
参差萬瓦 崔嵬長廊 玲瓏八面 焜燿十方
境象兜夜 刹甲支桑 新鐘高掛 商音永煌
響應遠近 律中宮商 十八聲縵 百八聲忙
夜禅畫誦 夕燈晨香 上界聞竺 遠寺知湘
東迎素月 西送斜陽 玉筍掘地 豊山降霜
告怪於漢 救苦於唐 霊異惟夥 功用無量
所庶幾者 国家安康 四海施化 萬歳傳芳
君臣豊楽 子孫殷昌 佛門柱礎 法社金湯
英檀之徳 山高水長

慶長十九年甲寅歳孟夏十六日
大檀那正二位右大臣豊臣朝臣秀頼公
奉行片桐東市正豊臣且元
冶工名護屋越前少掾菅原三昌
前住東福後住南禪文英叟清韓謹書

方広寺・国家安康の鐘
名称 方広寺・国家安康の鐘/ほうこうじ・こっかあんこうのかね
所在地 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
電車・バスで JR京都駅から市バスで7分、博物館三十三間堂前下車、徒歩6分。または、京阪本線七条駅から徒歩6分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約7km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 方広寺 TEL:075-561-1720
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

方広寺

1586(天正14)年、豊臣秀吉により京都・東山に創建された天台宗の寺、方広寺。豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立を志して造営したもの。1595(文禄4)年、大仏殿が完成し高さ6丈(18m)の廬舎那仏(るしゃなぶつ)を安置します。梵鐘

方広寺・大仏殿跡(大仏殿跡緑地)

方広寺・大仏殿跡(大仏殿跡緑地)

京都市東山区にある天台宗の寺、方広寺。豊臣家を滅亡へと導いた「国家安康」「君臣豊楽」の鐘が有名ですが、現在も地元で「大仏殿」と通称されるように、豊臣秀吉が建立した、大仏があった場所で、大仏殿跡には礎石なども残され、大仏殿跡緑地として整備され

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