天久宮

天久宮

沖縄県那覇市泊3丁目、琉球王府から庇護された琉球八社(末吉宮、波上宮、沖宮、識名宮、普天満宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮)の一社で、成化年間(1465年~1487年)創建と伝わる古社が、天久宮(あめくぐう)。神仏習合時代には、真言宗の聖現寺(現在も隣接して建つ)を別当としていました。

琉球八社の一社で琉球王国時代の貿易港・泊に鎮座

天久宮

琉球王国時代の泊村は、奄美や沖縄周辺諸島の貢納船が着岸する貿易港で、王国の物資の集積地になっていた地。

尚豊王(しょうほうおう)時代の寛永2年(1625年)、正月元旦、15日に法司官が官員を率いて、首里城御庭にて四拝を行った後に、波上山権現、天尊廟、広厳寺、沖山権現、両天妃廟、竜王殿、長寿寺神社、天久山権現、崇元寺、八幡神社、荒神堂、圓覚寺廟に拝謁して国王聖躬万々歳、御子孫御繁栄、国家安泰の祈願をし、終えると御庭にて九拝を行なうという社参が始まっています。

アメリカ大統領フィルモアの親書を携えた東インド艦隊司令長官ペリーも、江戸湾・浦賀来航前に、琉球王国を訪れ、この泊に停泊し、首里城で琉球王府に親書を手渡しています。
『ペリー日本遠征記図譜』に登場する「泊村の寺」は、聖現寺で、聖現寺境内に天久宮(江戸時代には天久権現、天久山熊野三社大権現とも)が描かれています。

江戸時代後期、イギリス艦隊の来航時には聖現寺が臨時の宿所となり、フランス艦来航時にはフランス人神父フォルカードが滞在するなど居留地的な意味合いをも有していました。

沖縄戦で激しい戦火に見舞われ、往時の社殿は破壊、焼失し、広大な社地も失われています。
現存する社殿は本土復帰に伴い、宗教法人格を取得時、昭和47年の再建。

天久宮
名称 天久宮/あめくぐう
所在地 沖縄県那覇市泊3-19-3
関連HP 那覇市公式ホームページ
電車・バスで ゆいレール美栄橋駅から徒歩20分
ドライブで 那覇空港から約5.5km
駐車場 10台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
聖現寺

聖現寺

沖縄県那覇市上之屋、天久寺(あまくぬてぃら)とも呼ばれる真言宗の寺が、聖現寺(せいげんじ)。琉球王国に庇護された琉球八社(末吉宮、波上宮、沖宮、識名宮、普天満宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮)のひとつ天久宮の別当寺だった寺です。沖縄戦で大きな

 

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