沖縄県八重山郡竹富町、黒島の西岸にある江戸時代に薩摩藩の要請で築かれた先島諸島火番盛(さきしましょとうひばんむい)のひとつが、プズマリ。八重山諸島には10ヶ所築かれていますが、そのうちのひとつで、国の史跡になっています。先島諸島の歴史を伝える貴重な遺構。
黒島に築かれた異国船監視の遠見番所
薩摩藩は、慶長14年(1609年)に琉球侵攻を行ない、軍事的に制圧し、尚寧王(しょうねいおう)は江戸で徳川秀忠に謁見することに(当時、琉球は中国・明と冊封関係にありました)。
慶長18年(1613年)には、薩摩藩に奄美群島を割譲を強いられ、さらに息子の尚賢王(しょうけんおう)時代の尚賢王4年(1644年)頃に薩摩藩の要請で、先島諸島の各島(18ヶ所)に異国船の到来を監視する先島諸島火番盛を設置しています。
徳川幕府の鎖国体制を背景に、中国への進貢船や異国船の到来を琉球王府に告げるためのもので、烽火(のろし)で伝達していました(狼煙の本数で国が分かる仕組み)。
プズマリは、基底部分の直径が20m、高さ9m、琉球石灰岩を積み重ねた円錐形の遠見台(火番盛では典型的な渦巻き型)ですが、崩落の危険があるため上ることはできません。
黒島中央部にある黒島展望台は、このプズマリを模した施設なので、黒島展望台に上ることでお茶を濁しておきましょう。
ちなみに、八重山諸島での狼煙伝達は、波照間島(コート盛)→新城下地島→新城上地島(タカニク)→黒島(プズマリ)→竹富島(クスクムイ)→石垣島(川平火番盛)と推測され、実際にのろしリレーの実験も行なわれています。
国の史跡に指定される先島諸島火番盛18ヶ所
宮古諸島
- 池間遠見=池間島(宮古島市)
- 狩俣遠見=宮古島(宮古島市)
- 島尻遠見=宮古島(宮古島市)
- 砂川遠見(トゥンカイフツイス)= 宮古島(宮古島市)
- 来間遠見=来間島(宮古島市)
- 大神島遠見台=大神島(宮古島市)
- 宮古遠見=多良間島(宮古郡多良間村)
- 八重山遠見=多良間島(宮古郡多良間村)
- 水納遠見(宮古遠見)=水納島(宮古郡多良間村)
八重山諸島
- 平久保遠見台=石垣島(石垣市)
- 川平火番盛=石垣島(石垣市)
- クスクムイ(小城盛)=竹富島(八重山郡竹富町)
- プズマリ=黒島(八重山郡竹富町)
- タカニク=新城島(上地島/八重山郡竹富町)
- 中森(波照間ムリ)=新城島(下地島/八重山郡竹富町)
- コート盛=波照間島(八重山郡竹富町)
- 中森=鳩間島(八重山郡竹富町)
- 大岳=小浜島(八重山郡竹富町)
- ダティグチディ=与那国島(八重山郡与那国町)
プズマリ(先島諸島火番盛) | |
名称 | プズマリ(先島諸島火番盛)/ぷずまり(さきしましょとうひばんむい) |
所在地 | 沖縄県八重山郡竹富町黒島1 |
電車・バスで | 黒島港から徒歩25分 |
ドライブで | 黒島港から約2km |
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