磯部温泉は温泉記号発祥の地、2月22日は「温泉マークの日」

♨温泉マーク(地形図の温泉記号)はいつから使われているのでしょうか。実は、ドイツ発祥説を抑えて有力なのが、磯部温泉発祥の説。磯部温泉には発祥の地碑も設置されていますが、はたしてその根拠は一体何なのでしょうか? 江戸時代の地図では単なる三角や丸で、おなじみの♨になるのは明治時代からです。

日本初の温泉記号は、磯部温泉で1661年に誕生!

近代的な地図に使われたのは、明治12年、内務省地理局測量課で制定された点図地形図に採用された初めて。
地形図に記載されたのは明治17年、陸軍参謀本部陸地測量部が制作した「假製2万分1地形圖圖式」の大阪地方から。
明治18年の地質調査所作成の地質図では温泉を▲、鉱泉を△で表示、地形図では西欧式のバスタブの絵を使っています。

というわけで、明治以前の全国の藩の絵図や街道の分間延絵図には温泉マークは使われず、たとえば越中(富山県)立山の立山温泉などには「湯」と漢字で記されています(文化8年『立山図』、安政5年以降『 立山村見取図』/富山県立図書館蔵)。江戸時代の絵図では◯、△などで温泉を表現したものもあり、

地形図の♨記号の凡例は、明治17年(仮製図式)〜明治28年式は温泉、明治33年式〜昭和17年式は、礦泉(鉱泉の旧字)、昭和30年式〜昭和35年式は、温(鉱)泉、昭和40年式以降は温泉・鉱泉となっています。昭和40年式は、湯気は先まで同じ太さで真ん中がやや高い3本の直線。現在は平成14年に「リアルで親しみやすい」からという理由で三本線が湯気が揺らぐようなかたちに変更されています。

それより、以前、江戸時代に♨記号が使われた例が唯一発見されているのが磯部温泉(群馬県安中市)。
万治4年(1661年)3月25日、上磯郡村(現・安中市上磯部)とその南側に隣接する中野谷村(安中市中野谷)の農民の土地争い(境界争い)に決着を付けるため、幕府の評定所(ひょうじょうしょ)は評決文「上野国碓氷郡上磯郡村と中野谷村就野論裁断之覚」(群馬県立歴史博物館蔵/常設展示なし)を出しますが、それに添付された絵図面(万治四年辛丑二月二十六日絵図記)に「♨」らしき記号が2つ描かれており、磯部温泉組合や安中市などではこれが「日本における温泉記号のルーツ」としているのです。

磯部温泉では磯部詩碑公園内にある赤城神社に「日本最古の温泉記号」の記念碑が立てられています。
炭酸を含んだ鉱泉は、江戸時代だと源泉温度は24度ほど。磯部せんべいなどせんべいを練るのに炭酸泉が利用されて、名物になっています。
この温泉記号が、陸軍参謀本部陸地測量部の地形図に採用されたとは考えづらく、陸軍の地図はドイツの地図を参考にしたと推測されていますが定かでありません。

磯部公園にある「日本最古の温泉記号」の記念碑

磯部公園にある「日本最古の温泉記号」の記念碑

昔ながらの手焼きで焼かれる磯部せんべい

昔ながらの手焼きで焼かれる磯部せんべい

温泉マークが国際化で大きく変わる!?

ちなみに、磯部温泉組合は平成28年2月、2月22日を日本記念日協会に磯部温泉の「温泉マークの日」と登録申請しています。
222が湯気をイメージするし、一年のうち一番寒い時季を、温泉で温まってほしいから・・・。

逆に、経済産業省では、♨では外国人観光客に意味がわからないからという理由で、施設の場所などを示す「案内用図記号」を国際規格にそろえる方向で検討を始めています。つまり、温泉入浴施設は♨ではなく、国際規格に合わせて人が入浴する姿を入れるという案です。

経済産業省によれば、「現在の表記では、外国人に温かい料理を出す施設と解釈される恐れがある」とのこと。東京オリンピック・パラリンピックに向けてピクトグラム(絵文字=案内用図記号)をわかりやすくという取り組みが始まっています。

磯部温泉が提唱する「温泉マークの日」ロゴ

磯部温泉が提唱する「温泉マークの日」ロゴ

経済産業省の「国際規格に合わせて人が入浴する姿」

経済産業省の「国際規格に合わせて人が入浴する姿」

 

 

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