旧堺港の南波止場にある六角形の木造洋式灯台の旧堺灯台は、明治10年に灯台の基礎と木製灯台部は石工・継国真吉と大工・大眉佐太郎の手で建造され、イギリス人技師ビグルストンが点灯機械の取り付けを行なったもの。灯台新築費2125円、機械購入費360円は地元・堺の住民たちの寄付によってまかなわれています。
現存する日本最古の木造洋式灯台
備前国(現・岡山県)出身の石工・継国真吉、地元大工の大工・大眉佐太郎は、明治4年点灯の和田岬灯台(神戸市)と天保山灯台を見学し、灯台設計の基礎知識を仕入れました。
和田岬灯台の八角形、天保山の四角形に対して、六角形という独特のフォルムを採用しています。
木製灯台部は檜造りで、なんと昭和43年まで現役灯台として活用されたのです。
臨海工業地帯の造成などで埋め立てが進み、昭和43年1月29日にその役目を終えています。
高さ11.3m。内部は非公開(毎年、海の日に内部公開が行なわれ、夏休み期間中、日没から22:00までライトアップが実施されています)。
日本最古の木製洋式灯台のひとつとして国の史跡となっています。
旧堺港は、1790(寛政元)年〜1810(文化7)年の間、20年の歳月をかけ、江戸・浅草の商人・吉川俵右衛門(よしかわひょうえもん)が修築整備した湊。
南海本線堺駅の西側には今もその形が残されています。
本当は開国予定の港は堺だった!?
中世以来の伝統ある堺湊は、幕末に江戸幕府によって、いったんは外国に対して開港場として決定されますが、「仁徳天皇陵」などの天皇陵が付近に多いことから朝廷側や尊王攘夷派を刺激するという理由で断念され神戸開港となったのです。
港とともに盛衰してきた堺の商人や市民にとって貿易は死活問題で、明治維新後に当時の堺県に働きかけ、独自の資産で灯台建設を行ないました。
堺旧堺灯台と同時期に建てられた木造灯台には旧福浦灯台(明治9年築・富山県)、旧安乗埼灯台(明治5年築・現存する日本最古。東京お台場「船の科学館」に移築)があります。
旧堺灯台 | |
名称 | 旧堺灯台/きゅうさかいとうだい |
所在地 | 大阪府堺市堺区大浜北町5丁7、5丁49 |
関連HP | 堺市公式ホームページ |
電車・バスで | 南海本線堺駅から徒歩15分 |
ドライブで | 阪神高速4号湾岸線大浜出口からすぐ大浜公園駐車場 |
駐車場 | 大浜公園駐車場(265台/有料) |
問い合わせ | 堺市文化観光局文化部文化財課 TEL:072-228-7198/FAX:072-228-7228 |
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