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大原邸

大原邸

大分県杵築市(きつきし)、城下町・杵築で家老職など上級武士の北台武家屋敷を代表する邸宅が、大原邸。もとは杵築藩筆頭家老の中根斎の邸宅、御用屋敷で、江戸末期には石高200石の用人、大原文蔵の邸宅となった建物。杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区の保存建築物にもなっています。

北台武家屋敷を代表する武家屋敷

北台の勘定場の坂から延びる家老丁に建つ大きな武家屋敷。
通りに面して桁行八間半(15.46m)、梁行2間(3.64m)もの長屋門があり、家老であった大原邸のみ、門の正面に玄関が配されています(武家屋敷では、玄関と門の位置を少しずらすなど、出入りの様子が道路から見えないようにするのが一般的)。
入母屋造寄棟造りの主屋には、式台付き玄関が設けられた格式の高い邸宅で、表の座敷(接待の場)と奥の居住部分も分かれています。
入母屋造の屋根を正面にみせる幅2間(3.64m)、奥行1間(1.82m)の式台(玄関に続く一段低い家来の控え場所)を構えた玄関を入ると、その奥に8畳の次の間、10畳の座敷に通じています。

観賞用の優雅な池に中島が浮かぶ日本庭園も有しており、上級武士の邸宅の面影を色濃く残す屋敷で、城下町散策の必踏ポイントのひとつ。

文政5年~文政6年(1822年~1823年)に編纂された宝暦年間(1751年~1764年)以降の北台武家屋敷・南台武家屋敷の居住者を記録した『居宅考』によれば、宝暦年間には120石取りの相川東蔵が居住し、相川東蔵が知行を返上した後、筆頭家老を務めた中根斎(350石取り)、さらに岡三郎左衛門を経て、桂花楼となったとあり、御用屋敷桂花楼の場所であったと伝えられています。
天保3年(1832年)、大手広場にあった牡丹堂に桂花楼は移設されていますが、その後も御用屋敷として続いていたようです。
明治元年の絵図にはすでに大原家の所有になっているので、文政年間(1818年〜1830年)以降に用人・大原文蔵(200石)の屋敷地となったことがわかります。
杵築城の御殿を移築したという説もありますが、御用屋敷時代のものなのか、それ以前のものか、建築年代は定かでありません。

筆頭家老を務めた中根斎は、三河国碧海郡中根村(現・愛知県豊田市中根町)出身の中根長兵衛末治が松平重勝(まつだいらしげかつ=能見松平家/現在の愛知県岡崎市の出身で徳川家康に仕えて出世)に仕えたことに始まり、杵築藩一の家老にまで出世しています。
塩屋の坂を上るとそこは南台武家屋敷・家老丁にある中根邸(和楽庵)は、その別邸(隠居宅)です。

大原邸
名称 大原邸/おおはらてい
所在地 大分県杵築市杵築207
関連HP 杵築市公式ホームページ
ドライブで 大分空港道路杵築ICから約3.3kmで観光客用駐車場
駐車場 観光客用駐車場を利用
問い合わせ 大原邸 TEL:0978-63-4554
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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