杵築城

杵築城

大分県杵築市、江戸時代には杵築藩(きつきはん)の藩庁だったのが、杵築城。杵築市街地の東端、北は高山川、東は守江湾に臨む標高30mの台山の上に築かれた連郭式平山城。室町時代初期に、木付城として大友一族と木村頼直によって築城され、戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となりました。

天守は戦後に建てられた模擬天守で、守江湾を一望に

杵築城

慶長4年(1599年)には、関ヶ原合戦では東軍となった細川忠興(ほそかわただおき)の所領となり、関ヶ原合戦の直前、徳川家康の上杉征伐の際に西軍方の大友義統(おおともよしむね/大友吉統)の攻撃を受けていますが、中津城の留守を守る黒田如水(黒田官兵衛)の支援があって落城を免れています。

藩政時代の藩主は、小笠原忠知(おがさわらただとも)、その後は、松平英親(まつだいらひでちか)に続く能見松平家で、譜代大名(徳川氏の家臣団の大名)です。

天守は慶長13年(1608年)の落雷で焼失して以来再建されていません。
藩政時代には山麓の藩主御殿地区と呼ばれる杵築神社、杵築中学校一帯に藩主の居館を設け、正保2年(1645年)以降は、山上の城はほとんど機能を失っています(台山地区の杵築城跡と麓の藩主御殿跡は国の史跡に)。

元禄7年(1694年)、杵築を訪れた貝原益軒は『豊国紀行』に「木付に城なし、町あり」と記しています。
武家町は東西に走る谷によって南北に分断され、南北の高台にはその武家屋敷街が現存し、南台武家屋敷街、北台武家屋敷街として国の伝統的建造物群保存地区(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)に指定されています。
台上の武家屋敷に挟まれた谷間が町人地です。

築城当時は、木付城と命名されながら、正徳2年(1712年)、幕府朱印状に誤って杵築と記されて以来、杵築城が正式名称に。

現在の天守は昭和45年に再建された鉄筋コンクリート造り、望楼型3層3階の模擬天守。
内部は歴代藩主ゆかりの品々や郷土資料を展示する資料館になっており(入場料が必要)、天守望楼からの眺望も見事です。

遺構としては石垣や濠の一部が残り、国東塔や五輪塔など、石造文化財を野外展示する城山史跡公園として整備されています。

杵築城
名称 杵築城/きつきじょう
所在地 大分県杵築市杵築城山15-1
関連HP 杵築市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR杵築駅から大分交通バス杵築バスターミナル行き20分、終点下車、徒歩10分
ドライブで 大分空港道路杵築ICから約3.7km
駐車場 城山公園駐車場(17台/無料)
問い合わせ 杵築城 TEL:0978-62-4532
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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