磯矢邸

磯矢邸

大分県杵築市(きつきし)、杵築城下町の北台武家屋敷にあり、もとは江戸時代後期、藩主の休息所御用屋敷「楽寿亭」の一部だったという武家屋敷。明治時代には200石の武士、加藤与五右衛門の邸宅として使われ、明治時代には増改築も行なわれています。現在は修復され、一般公開されています。

藩主の休息所としても使われた風雅な武家屋敷

磯矢邸

大原邸、能見邸など上級武士の邸が並んだ、北台武家屋敷・家老丁にある武家屋敷。
敷地の一角には「杵築市栗原克美美術館」を併設し、水墨画家・栗原克実から寄贈された水墨画などを展示してます。

18世紀末の作成と推測される『杵築城図(金子絵図)』には、榎並喜左衛門の邸となっていますが、家老を務めた経験のある350石取以上の藩の用心が暮らしていたことがわかっています。
文政5年~文政6年(1822年~1823年)に編纂された宝暦年間(1751年~1764年)以降の北台武家屋敷・南台武家屋敷の居住者を記録した『居宅考』によれば、宝暦年間(1751年〜1763年)のころは、安西源兵衛の居宅でしたが、寛政の大火(1800年)の後、御用屋敷「楽寿亭」の一部に組み込まれています。

御用屋敷「楽寿亭」は、文政7年(1824年)に廃止され、明治初年の『藩士住居地図』や加藤家寄贈文書類から、その後は加藤与五右衛門(200石)の屋敷として使われたことが判明しています。

御用屋敷「楽寿亭」の一部として使われた、玄関の間、客間の座敷、茶室の3部屋が現存していますが、どの部屋からも四季折々の美しい庭が愛でられるよう設計されています。

磯矢邸
磯矢邸
名称 磯矢邸/いそやてい
所在地 大分県杵築市杵築211-1
関連HP 杵築市公式ホームページ
ドライブで 大分空港道路杵築ICから約3.3km
駐車場 観光客用駐車場を利用
問い合わせ 磯矢邸 TEL:0978-63-1488
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
勘定場の坂

勘定場の坂

大分県杵築市(きつきし)、城下町・杵築を象徴する坂道のひとつで、坂の下に杵築藩の勘定場が置かれていたことがその名の由来です。石段の幅が広く、勾配も比較的緩やかなのは、当時武家の移動手段だった馬、横向きに上った籠かきの歩幅にあわせて造られてい

酢屋の坂

酢屋の坂

大分県杵築市、城下町・杵築の北台武家屋敷から商人の町・谷町へと通じる、杵築随一のロケーションを誇る坂道が、酢屋の坂。そのフォトジェニックな風景は、映画やドラマの舞台にも使われてきました。坂の下にかつて酢屋があったのが名の由来です。武家屋敷と

番所の坂

番所の坂

大分県杵築市、城下町・杵築(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)の風情ある坂道のひとつが、番所の坂。杵築城下にあった6ヶ所の番所のひとつ、北浜口番所があったことが坂の名の由来です。番所には番人が常駐し、夜間には大戸を閉めて通行ができなくな

大原邸

大原邸

大分県杵築市(きつきし)、城下町・杵築で家老職など上級武士の北台武家屋敷を代表する邸宅が、大原邸。もとは杵築藩筆頭家老の中根斎の邸宅、御用屋敷で、江戸末期には石高200石の用人、大原文蔵の邸宅となった建物。杵築市北台南台伝統的建造物群保存地

北台武家屋敷・藩校学習館跡

北台武家屋敷・藩校学習館跡

大分県杵築市、城下町・杵築の家老などの邸が並んでいた北台武家屋敷にある杵築藩の藩校「学習館」の跡が、北台武家屋敷・藩校学習館跡。藩政改革を推進した、杵築藩7代藩主・松平親賢(まつだいらちかかた)が、天明8年(1788年)に開いたのが、藩校「

北台武家屋敷跡(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)

北台武家屋敷跡(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)

大分県杵築市、杵築城の西の高台に位置する、北台武家屋敷跡。杵築藩の上級武士が暮らした武家屋敷街で、杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区にも選定されています。海蝕崖で囲まれた南北の台地は武家地、台地を囲む低地は町人地という「サンドイッチ型城下

能見邸

能見邸

大分県杵築市、城下町・杵築の家老などの邸が並んでいた北台武家屋敷にある幕末期のものと推測される武家屋敷の遺構が、能見邸。玄関の間、上段の間を有する格式ある上級武士の邸宅で、庭や建物の様式美など、見ごたえのある武家屋敷です。喫茶、土産品の販売

佐野家

佐野家

大分県杵築市、城下町・杵築で代々医家を務めた佐野家。共通観覧券対応施設のひとつで、杵築市役所にほど近い、坂周辺に家が一軒しかなかったという、ひとつ屋の坂と、紺屋(染物屋)が並んでいたという紺屋町の坂を上った、北台の一画に建っています。主屋は

杵築城

杵築城

大分県杵築市、江戸時代には杵築藩(きつきはん)の藩庁だったのが、杵築城。杵築市街地の東端、北は高山川、東は守江湾に臨む標高30mの台山の上に築かれた連郭式平山城。室町時代初期に、木付城として大友一族と木村頼直によって築城され、戦国時代には大

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ