大分県速見郡日出町(ひじまち)、日出城の三の丸跡に建つのが、的山荘(てきざんそう)。大正4年に建てられた、大正時代の最盛期には日本一の産出額を誇った馬上金山(ばじょうきんざん/大分県速見郡山香町、現・杵築市山香町)を経営した金山王・成清博愛(なるきよひろえ)の別荘で、料亭として営業。
料亭として営業し、ランチなら予約無しで利用可能
成清博愛は、馬上金山を経営した、福岡出身の実業家で政治家。
その雅号「的山(てきざん、鉱山を当てるという意味)」をとり、的山荘と名付けられたもの。
江戸時代に開発された馬上金山は、その後、地下水の流出に手を焼きながら、細々と採掘され、人の手を転々としていました。
明治30年に神崎炭坑を手に入れ、順調に採炭していた成清博愛は、金鉱山に目を向け、馬上金山の持ち主であった帆足義方と、再三に渡る交渉を重ね、明治40年、馬上金山を買収。
坑道の一部が崩落する事故で、逆に金鉱脈を発見するという幸運に恵まれ、ゴールドラッシュで一躍富豪の仲間入りを果たします。
そんな時、日出城二の丸、三の丸の旧日出藩主・木下俊哲(きのしたとしあき)の家屋敷が売りに出されることを知り、木下家と直接交渉して土地を買い取り(木下俊哲は京都、さらに東京に移住)、「馬上金山近くに別邸を」という思いを実現させたのが、的山荘です。
敷地面積3670坪におよぶ広大な別荘に、当時の最高の材が惜しみなく使われ、総工費25万円、現在の価値で数億に相当とするという豪邸。
日出城が高台にあり、別府湾を見渡し、高崎山を借景にするという環境も、まさに別荘として最適でした。
建物は、桟瓦葺きの腕木門、格式ある玄関の式台、広間の欄間彫刻や書院など、実に豪奢な造り。
大正4年1月に落成式が行なわれ、その後、衆議院議員にも当選していますが、心臓発作を起こして辞職し、大正5年1月18日に没しています。
その後は、長男である成清信愛が跡を継ぎ、成清鉱業株式会社を立ち上げますが、堅実な経営を目指して大正12年、日本鉱業に金山を売却。
県北の交通機関を統合し、大分交通を誕生させるなど、様々な分野で活躍しています。
そんな成清信愛も終戦間もない昭和21年10月10日に没。
的山荘の維持管理は、成清信愛の次男・成清信輔が受け持ち、昭和39年には「割烹料亭 的山荘」としての営業を開始。
城下ガレイをはじめ、関サバ、関アジ、臼杵ふぐ、豊後牛など季節の料理を提供し、人気を博します。
その後、平成22年に日出町が買い取り、運営を委託しながら高級料亭として運営。
平成26年には「旧成清家日出別邸」として国の重要文化財に指定されています。
ランチメニューなら比較的に手頃な料金で味わうことができます。
懐石料理 ( 要予約 )は昼、夜ともに予約が必要(夜は懐石料理のみ)。
かつて皇族をはじめ著名人が訪れた見事な日本庭園は、見学だけの利用も可能。
的山荘 | |
名称 | 的山荘/てきざんそう |
所在地 | 大分県速見郡日出町2663 |
関連HP | 的山荘公式ホームページ |
電車・バスで | JR日豊本線暘谷駅から徒歩10分 |
ドライブで | 大分空港道路日出ICから約2.5km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 的山荘 TEL:0977-72-2321/FAX: 0977-72-2320 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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