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中津城・水門跡

中津城・水門跡

大分県中津市にある日本三大水城ひとつ、中津城。山国川の支流、高瀬川(現在の中津川)の河口デルタに位置する天然の要害地で、水門から堀に海水を引き入れた水城。城の北側は海、西側は川に面しており、本丸跡の南西隅には、水門跡(水御門跡)の石垣が現存。堀の底は東から西へと傾いており、潮の干満により堀の水かさが上下したと推測されます。

潮の干満により堀に海水を引き入れた水門の跡

水門跡の石垣に使用されていた石には、切り出す時に、ノミで掘った矢穴(底がV字状のクサビである「矢」を使って、石を割りました)のある割石が多く用いられており、戦国時代の石工たちの技術を今に伝えています。

水門跡すぐの三ノ丁には、海水を湧かしたレトロな銭湯「汐湯」が建っています。
周防灘から流れ込む海水を沸かし、「中津海水湯」として明治29年に創業した老舗の銭湯。
現存する木造3階建ての割烹の建物は、大正初期の築で風情たっぷり。
また別棟の涼み台からは中津川河口が一望のもと。

中津城・水門跡
名称 中津城・水門跡/なかつじょう・みずもんあと
所在地 大分県中津市三ノ丁
関連HP 中津城公式ホームページ
電車・バスで JR中津駅から徒歩15分
ドライブで 宇佐別府道路宇佐ICから約17.8km
駐車場 中津公園駐車場(50台/無料)
問い合わせ 中津城 TEL:0979-22-3651/FAX:0979-22-7853
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

中津城

天正16年(1588年)、築城の名手・黒田孝高(くろだよしたか=黒田如水・黒田官兵衛)によって築かれ、細川忠興が完成させた平城。中津川(山国川)と大家川に挟まれた、河口の中洲に位置し、北は周防灘に面していることから、堀には海水を引き入れてお

中津城大手門跡

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中津城・西門跡

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中津城本丸北側・黒田氏時代の石垣

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中津城本丸南側・黒田氏時代の石垣

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汐湯

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