中津城・西門跡

中津城・西門跡

大分県中津市にある中津藩の藩庁だった城が中津城。天正16(1588年)、築城の名手・黒田孝高(黒田如水)によって築かれ、細川忠興が完成させた中津城。その三の丸にあたる三ノ丁地区の西南隅の高瀬川(現在の中津川)沿いには、西門跡が残されています。現存する西門の石垣には、かつて「慶長12年9月」の文字が刻まれていました。

小倉口に面し、大手門に次いで重要な門が西門

豊前街道入口にあたる小倉口から城内の守りを固める重要な場所で、堀の幅を広くとり、三方を大石で囲った桝形を有した搦手門。
細川忠興(ほそかわただおき)は城下町の整備に際し、6ヶ所の城戸口(小倉口、広津口、金屋口、島田口、栃瀬口、大塚口)を設けています。
それぞれの城戸口には見附番所を配して、人々の出入りを監視していました。
こうした城下町は元和6年(1620年)頃に完成しています。

城下町の西南隅に位置するのが小倉口。
小倉口を入ると西門を通ってすぐに三ノ丸城内に入ることができるため、城の防備上も大変重要な場所で、大手門と同様に櫓門が築かれていました

武器などを収蔵した櫓門は、明治2年に建物は焼失。
石垣の上段は積み直されていますが、矢穴のある割石を多く使用しています。

名称 中津城・西門跡/なかつじょう・にしもんあと
所在地 大分県中津市1336
関連HP 中津城公式ホームページ
電車・バスで JR中津駅から徒歩15分
ドライブで 宇佐別府道路宇佐ICから約17.8km
駐車場 中津公園駐車場(50台/無料)
問い合わせ TEL:0979-22-3651/FAX:0979-22-7853
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
中津城

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中津城大手門跡

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中津城本丸南側・黒田氏時代の石垣

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中津城・水門跡

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