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岡城・太鼓櫓跡

岡城・太鼓櫓跡

大分県竹田市、江戸時代に岡藩の藩庁が置かれた山城が、岡城(豊後竹田城)。日本100名城、日本さくら名所100選にも選定される城です。太鼓櫓跡は、三の丸の入口を防備する櫓門で、城内で最も重要な門だった場所。隣接して鐘櫓跡があり、ここからいよいよ岡城の中核へと入ります。

見事な石垣の切込接(うちこみはぎ)に注目を

太鼓櫓は、石垣のみが現存していますが、その見事な積み方に注目を。
直径2mほどの巨石を切込接(うちこみはぎ)という石積の技法を用いています。
近世初頭に、石垣技術の発達を背景にして誕生した技術で、石を精密に加工し、石同士の隙間を減らす積み方で、高い急峻な石積みができるのです。
江戸城や徳川時代の大坂城、家康の隠居先となった駿府城、尾張徳川家の居城・名古屋城など近世初頭に天下普請(てんかぶしん)で築かれた城は、この切込接を採用しています。

太鼓櫓は、横目地を通すように積まれた美しい布積(ぬのづみ)で、岡藩の築城技術の高さを垣間見ることができます。
太鼓門櫓の石垣には、巨大な鏡石も埋め込まれているのでお見逃しなく。

岡城のほぼ中心に位置する太鼓櫓には、太鼓が設置され、城内に時を知らせるために太鼓が打たれていました。
太鼓櫓に隣接する鐘櫓には、銅鐘が吊るされ、火災や緊急時には、銅鐘が打ち鳴らされたのです。
緊急時に武士を召集するのも太鼓櫓の役目とした城もありますが、岡城は緊急時は鐘と役割分担に。

岡城・太鼓櫓跡
名称 岡城・太鼓櫓跡/おかじょう・たいこやぐらあと
所在地 大分県竹田市竹田
関連HP 竹田市岡城跡公式ホームページ
電車・バスで JR豊後竹田駅から徒歩20分
ドライブで 東九州自動車道大分光吉ICから約41km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 竹田市教育委員会 TEL:0974-63-1111/FAX:0974-63-2373
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

岡城

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