岡城・大手門跡

岡城・大手門跡

大分県竹田市にある天神山に築かれた梯郭式山城が、岡城(豊後竹田城)。岡藩(竹田藩)の藩庁にもなった城域は、東西2500m、南北362mにも及び、石垣などの遺構が残され国の史跡になっています。その玄関口にあたるのが、大手門で、大手門跡は石垣のみ現存。

藤堂高虎の助言で、西向きに変更した大手門

岡城・大手門跡

文禄3年(1594年)、播磨国三木から中川秀成(なかがわひでしげ)が入封し、3年がかりで近世的な城郭に改変。
本丸(代用天守の御三階櫓を建築)、二の丸、三の丸御殿、櫓を造営し、城の西側を拡張、重臣屋敷群を設けています。

築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)は、慶長16年(1611年)、肥後熊本藩の監国に赴くため、熊本城に向かう際、岡城に立ち寄り、東向きの大手門は、朝日が当たると戦いで不利となることから、大手門を東向きの下原門から現在の西向きの大手門に改造すべきことを指摘。

外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として徳川家康に重用された藤堂高虎のアドバイスを受け、現在の大手門の位置に移されています。
初代藩主となった中川秀成は、関ヶ原の合戦では徳川方に与し、慶長17年(1612年)に没していますから、最晩年に藤堂高虎の助言を受け、改修したということに。
新しい大手門が完成したのは、中川秀成没後の、慶長18年(1613年)。
宝永3年(1706年)に改築されていますが、石垣のみが現存。
高く積まれた石垣も藤堂高虎の助言があったのかもしれません。

岡城・大手門跡
名称 岡城・大手門跡/おかじょう・おおてもんあと
所在地 大分県竹田市竹田
関連HP 竹田市岡城跡公式ホームページ
電車・バスで JR豊後竹田駅から徒歩20分
ドライブで 東九州自動車道大分光吉ICから約41km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 竹田市教育委員会 TEL:0974-63-1111/FAX:0974-63-2373
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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