郡上八幡城

1559(永禄2)年、遠藤盛数(えんどうもりかず)によって砦が築かれたのが郡上八幡城の始まり。1667(寛文7)年、6代城主・遠藤常友の時代に修復によって、幕府から城郭として認められ改修を行なっています。1755(宝暦5)年には近代史に残る大規模な農民一揆が発生、12代城主の金森頼錦は、お家断絶に追い込まれています。

日本最古(昭和8年)の、木造で再建された模擬天守

関ヶ原の戦いの前哨戦として、1600(慶長5)年、東軍側の遠藤慶隆(えんどうよしたか)、金森可重(かなもりありしげ)と西軍側の稲葉貞通(郡上八幡城主)、遠藤胤直(えんどうたねなお=遠藤慶隆のいとこ)との間で八幡城の合戦が繰り広げられました。
合戦は、和議で決着となり、遠藤慶隆は14日に美濃赤坂の家康本陣に到着して、家康と面会、東軍に合流して関ヶ原に参戦しています。
戦後、遠藤慶隆は、初代の郡上藩藩主となります。

藩政時代には、郡上藩の藩庁として機能した郡上八幡城。
明治2年に廃城となり、建物はすべて破却され、石垣のみが往時の雰囲気を伝えています。

現在の4層5階の天守閣は昭和8年、2つの隅櫓と高塀とともに全国で2番目の模擬城として木造で造られたもので、当時国宝だった大垣城を参考に設計されたもの。

藩政時代の絵図には3層の天守が描かれているから、実際にあった天守とは趣を大きく異にしますが、年月を経た木造の城内は、再建されたものとは思えないほど雰囲気があります。

司馬遼太郎、「日本で最も美しい山城であり、隠国(こもりく)の城。」(『街道をゆく』)と記しています。

標高354mの八幡山山頂に建ち、天守に上れば郡上八幡の町並を一望に。
ここからの町並みが「鮎の形に見える」というのはまったくの偶然です。

郡上八幡城天守へは、車道のほかに江戸時代の4本の古道も残されているので、時間が許せばぜひ歩いてみたいところ。
山麓から徒歩20分で天守に到達できます。

山内一豊の妻、千代は、郡上八幡生まれ!?
石垣の大部分は、1588(天正16)年、稲葉貞通の大改修の際に築かれたもので昔ながらの野面積みが残されています。
天守台にあるすべての石垣は、岐阜県の史跡文化財に指定。
また、「続日本100名城」にも選定されています。

ちなみに初代の城主・遠藤盛数の長女が、大河ドラマ『功名が辻』で仲間由紀恵が演じた山内一豊の妻、千代(千代の出生については諸説あり定かでありません)。
ただし、見性院(千代)が、遠藤盛数の孫遠藤亮胤を山内家に仕官させるよう言い残したことも遠藤盛数の長女説を裏付けています。
旧本丸屋敷跡には、城下町を見守るように一豊と千代の銅像が建っています(山内一豊と郡上八幡は直接的な関係はありません)。

 

郡上八幡城
名称 郡上八幡城/ぐじょうはちまんじょう
所在地 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
関連HP 郡上八幡城公式ホームページ
電車・バスで 長良川鉄道郡上八幡駅から岐阜バス郡上白鳥行き、八幡城行きで10分、城下町プラザ下車、徒歩25分
ドライブで 東海北陸自動車道郡上八幡ICから約2.5km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 郡上八幡城 TEL:0575-67-1819/FAX:0575-67-9019
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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