東京都文京区本郷7丁目、東京大学本郷キャンパスの正門から銀杏並木を歩いた先にあるのが、安田講堂。正式名は東京大学大講堂ですが、安田財閥の創始者・安田善次郎の匿名を条件での寄付で建築されたため安田講堂の名で知られています。大正14年7月6日竣工で、国の登録有形文化財にも指定。
東大のシンボルで、正式名は東京大学大講堂
関東大震災後に建てられた本郷キャンパス内の建築物は、赤茶色のスクラッチタイルで統一されていますが、安田講堂も同様に外壁は赤茶色で、ゴシック及び表現主義の影響が色濃く見られる垂直性の強いデザインが特徴。
地上5階建て、39.7mの高さを誇っています。
4階南西角には、総長応接室も配されているのは、天皇行幸などの接待を想定した施設だったから。
設計段階では、天皇行幸に際する正式な便殿(皇族の休憩施設)としての機能も考えられており、東大工学部列品館、東大法学部3号館、東大法文1号館、東大法文2号館(いずれも国の登録有形文化財)などとともに、東京帝国大学建築学科の内田祥三(後に第14代総長に就任)と岸田日出刀(きしだひでと)が基本設計を行ない、清水組(現在の清水建設)が施工しています。
また、安田講堂の意匠および構造については伊東忠太なども関わっています。
昭和43年の東大紛争では全共闘(全学共闘会議)が安田講堂を占拠し、機動隊が排除するという東大安田講堂事件も起こっています。
その名の通り、内部は1136人が収容できる講堂で、平成3年からは学部別の卒業式・学位記授与式も行なわれています(平成26年には1年半に及ぶ耐震化、全面改修を完了し、震度7クラスの大地震でも天井が落ちない構造に、さらに床も、創建時のフローリング張りに戻されています)。
安田講堂へと続く銀杏並木は、明治41年9月1日〜12月29日にかけて朝日新聞に連載された夏目漱石の小説『三四郎』にも登場するように、小石川植物園から移植されたもの。
正門も伊東忠太の設計で明治45年6月に完成しているので、安田講堂は、東大のシンボルゾーン最後の完成ということに。
東大・安田講堂 | |
名称 | 東大・安田講堂/とうだい・やすだこうどう |
所在地 | 東京都文京区本郷7-3-1 |
関連HP | 東京大学公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ東大前駅、東京メトロ・都営地下鉄本郷三丁目駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 東京大学 TEL:03-3812-2111 |
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