維新の三傑の銅像はどこにある!?

維新の三傑の銅像はどこにある!?

徳川幕府を倒し、明治新政府の樹立に貢献した維新の三傑とは、西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)、そして木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩)の3人。故郷などに建立される銅像ですが、人気の西郷隆盛は主なものだけでも3ヶ所もあり、大河ドラマの主人公にもなった人気ぶりがわかります。

西郷隆盛

西郷隆盛像|東京都

所在地:東京都台東区上野公園5-20
制作者:高村光雲
建立年:明治31年12月18日
概要:明治22年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに、薩摩藩出身者が中心となって建設が計画され、上野恩賜公園に建立
いったんは「逆徒」だった西郷の陸軍大将軍服姿には反発があり、兎狩り姿になったとされ、散歩姿ではありません(連れている犬は薩摩犬)

西郷隆盛像

台東区上野の上野公園に建っている「上野の西郷さん」は、西郷隆盛像ではもっとも古い銅像。西南戦争で、明治政府に反旗を翻した西郷は、いわゆる朝敵でもあったため、明治22年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをき

西郷隆盛銅像

所在地:鹿児島県鹿児島市城山町4-36
制作者:安藤照(『忠犬ハチ公』像の制作で有名)
建立年:昭和12年
概要:西郷隆盛没後50年祭記念事業として城山山麓(鹿児島市立美術館前)に建立
陸軍特別大演習(明治6年)のときの凛々しい軍服姿で、上野の像は、西郷どんは人前で着流し姿はみせないと、親族にも不評だったため、故郷では軍服姿が採用されました

西郷隆盛銅像

西郷隆盛銅像

昭和12年に西郷隆盛没後50年祭記念事業として城山山麓(鹿児島市立美術館前)に立てられた西郷隆盛銅像。上野公園の西郷像(明治30年・高村光雲作)が着流し姿なのに対して、こちらは陸軍特別大演習(明治6年)のときの凛々しい軍服姿。西郷どんは人前

現代を見つめる西郷隆盛像(西郷公園)|鹿児島県

所在地:鹿児島県霧島市溝辺町麓856-1(西郷公園)
制作者:古賀忠雄
建立年:昭和63年8月
概要:京都市の京都霊山護国神社に、新しい西郷像を建立する計画を立案。像は完成しましたが発注者の死去により計画が頓挫したものを、鹿児島空港近くに設置
霧島市は、明治10年の西南戦争で、鹿児島目指して進軍する1万2000人の政府軍を、なんとか足止めしようと守備した2000人の薩摩軍が何百という堡塁(ほうるい)を築いて奮戦した地

現代を見つめる西郷隆盛像(西郷公園)

現代を見つめる西郷隆盛像(西郷公園)

昭和52年、西郷没後100年顕彰事業として関西在住の鹿児島県出身者らが京都市の京都霊山護国神社に、新しい西郷像を建立する計画を立案。像は完成しましたが発注者の死去により計画が頓挫し、像は高岡市の倉庫に眠ることに。その像が、鹿児島空港近くの昭

大久保利通

大久保利通銅像|鹿児島県

所在地:鹿児島県鹿児島市西千石町1
制作者:中村晋也
建立年:昭和54年
概要:没後100年を記念して建立されたものですが、長年、大久保利通は征韓論を唱えた西郷隆盛を下野に追い込み、西南戦争も政府軍を率いたとあって、地元では「西郷どんの敵(かたき)」とされ、銅像も建立されませんでした(ともに同じ加治屋町に住んだ朋友です)

大久保利通銅像

大久保利通銅像

鹿児島市の甲突川左岸緑地の一角、高見橋のたもとに立つ、大久保利通銅像。銅像は没後100年を記念して、昭和54年に設置されたもの。西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される大久保利通は、西郷隆盛と同じ加治屋町に住み、倒幕に貢献し、明治

木戸孝允(桂小五郎)

桂小五郎像

所在地:京都府京都市中京区一之船入町(ホテルオークラ京都)
制作者:江里敏明(えりとしあき)
建立年:平成7年3月21日
概要:京都桂ライオンズクラブが結成30年を記念して建立
京で倒幕に心血を注いだ時代には桂小五郎を名乗っていたため、像の名も桂小五郎像です
像の立つホテルオークラ京都の建つ地は、長州藩京屋敷跡

桂小五郎像

桂小五郎像

京都府京都市中京区一之船入町、ホテルオークラ京都の敷地内、北西側に立つのが、桂小五郎像。ホテルオークラ京都の建つ地は、長州藩京屋敷跡ということで、京都桂ライオンズクラブが結成30年を記念して平成7年3月21日に建立したもので、桂小五郎(木戸

維新の三傑の銅像はどこにある!?
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