維新の三傑の生誕地はどこ!?

維新の三傑の生誕地はどこ!?

徳川幕府を倒し、明治新政府の樹立に貢献した維新の三傑とは、西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)、そして木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩)の3人。西郷隆盛、大久保利通は石碑、標石があるのみですが、大久保利通は生誕の旧宅が現存しています。

西郷隆盛生誕地

所在地:鹿児島県鹿児島市加治屋町
生誕年月日:文政10年12月7日(1828年1月23日)
家柄:父・西郷吉兵衛隆盛は、禄高47石という薩摩藩の下級藩士(御勘定方小頭)
概要:西郷隆盛と弟・従道が青年時代までを過ごした場所は、JR鹿児島中央駅から徒歩10分の鹿児島市街の中心地で、立派な石碑が立っています

西郷隆盛生誕の地

西郷隆盛生誕の地

大久保利通(薩摩藩出身)、木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩出身)とともに「維新の三傑」といわれたのが西郷隆盛。文政10年12月7日(1828年1月23日)、薩摩国鹿児島城下の加治屋町山之口馬場(下加治屋町=現・鹿児島市加治屋町)に生

大久保利通生誕地

所在地:鹿児島県鹿児島市高麗町3-1
生誕年月日:文政13年8月10日(1830年9月26日)
家柄:父・大久保利世は下級藩士で、沖永良部島代官付役として沖永良部島に赴任し、鹿児島に帰任後に利通が生誕
概要:ナポリ通り沿い、甲突橋の西、駐車場の片隅に石柱が立つのみで、同郷ながら地元で「西郷隆盛の敵(かたき)」といわれる状況を反映しています

大久保利通誕生地

大久保利通誕生地

鹿児島県鹿児島市高麗町、ナポリ通り沿い、甲突橋の西にあるのが、大久保利通誕生地。同じ薩摩藩出身で、ともに維新の三傑に数えられる西郷隆盛の生誕地が園地化され、立派な石碑が立っているのに比べ、大久保利通の生誕地は、駐車場の片隅に、標石が立つのみ

木戸孝允(桂小五郎)生誕地

所在地:山口県萩市呉服町2
生誕年月日:天保4年6月26日(1833年8月11日)
家柄:父・和田晶景(わだしょうけい)は藩医
概要:天保11年(1840年)、7歳で向かいの萩藩士(長州藩士)・桂孝古の末期養子となりますが、翌年、桂家の養母も亡くなったため、和田家に戻っています(そのため桂小五郎の名があり、幕末に京では新選組に追われながら、桂小五郎の名で活躍)
慶応元年(1865年)、藩命により姓を木戸と改め、翌年、薩長同盟の締結に尽力
木戸孝允旧宅には、木戸孝允が誕生した部屋や勉強部屋などが当時のまま残され、「今日」と書かれた7歳〜8歳頃の書などが飾られています

木戸孝允旧宅

木戸孝允旧宅

山口県萩市呉服町、江戸屋横丁に面して建つのが木戸孝允旧宅(きどたかよしきゅうたく)。幼少時、向かいの桂家の養子となったため、桂小五郎の名もある木戸孝允。養子に出た直後養母が亡くなり、結局この生家で青春時代を過ごしています。国の史跡。萩城下・

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