岡城・西の丸跡

岡城・西の丸跡

大分県竹田市にある天神山に築かれた梯郭式山城が、岡城(豊後竹田城)。岡藩(竹田藩)の藩庁にもなった城域は、東西2500m、南北362mにも及び、石垣などの遺構が残され国の史跡になっています。西の丸は3代藩主・中川久清(なかがわひさきよ)の隠居後の御殿が建てたのが始まりです。

藩政時代後期には西の丸が藩庁機能を担っていました

岡城・西の丸跡

岡藩の基礎を築いたのが、3代藩主・中川久清。
藩政が安定すると、寛文6年(1666年)、50代初めでしたが老齢を理由にして長男・中川久恒(なかがわひさつね)に家督を譲り、隠居。
足が不自由だったこともあり、隠居先に大手門近くの西の丸を配し、御殿を築いています。
その後は、本丸御殿よりも登城に便利ということもあって、西の丸に藩庁としての機能も移っていきます。

西の丸には、御殿のほかに馬場、庭園、家老屋敷、城代屋敷などがあり、岡城内で最も広い曲輪でした。
御殿跡は芝地になっているほか、家老屋敷跡、城代屋敷跡も遺構はありませんが表示があるので、武家屋敷街だったことがわかります。

岡城・西の丸跡
名称 岡城・西の丸跡/おかじょう・にしのまるあと
所在地 大分県竹田市竹田
関連HP 竹田市岡城跡公式ホームページ
電車・バスで JR豊後竹田駅から徒歩20分
ドライブで 東九州自動車道大分光吉ICから約41km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 竹田市教育委員会 TEL:0974-63-1111/FAX:0974-63-2373
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

岡城

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