夏が来れば思い出す♪(『夏の思い出』/作詞・江間章子、作曲・中田喜直)で、夏に尾瀬に出かけると、咲いているのはニッコウキスゲ、ヤナギラン、サワギキョウなど。水芭蕉はとっくに終わっていて、巨大化した水芭蕉の葉が木道を覆うように茂るのを眺めることになります。
誤解を生むのは水芭蕉が「仲夏」を表す夏の季語だから
音楽科の教科書にも掲載される名曲『夏の思い出』は、昭和22年)、NHKは、「夢と希望のある歌をお願いします」と江間章子(えましょうこ)に歌詞を依頼して誕生した歌です。
大正時代、母の実家である岩手県岩手郡平館村(現・八幡平市平舘)で高等女学校入学まで10年ほど暮らした江間章子は、岩手山・八幡平の山麓で雪解けとともに水芭蕉が咲くのを見ていました。
戦争激しい昭和19年春、疎開先の人たちと、食料を求めて尾瀬の入口、群馬県利根郡片品村を訪れた際、咲いていたのが水芭蕉で、苦しい疎開生活の中で可憐な水芭蕉に「夢と希望」を感じ取ったのです。
そんな江間が夢と希望を抱く歌として、思い浮かんだのが水芭蕉咲く尾瀬の情景で、それを詩にしたのが『夏の思い出』ということに。
ところが実際、尾瀬における水芭蕉の開花時期は、尾瀬ヶ原で例年5月下旬〜6月初旬頃、尾瀬沼では1週間ほど遅く6月初旬〜中旬頃で、夏に思い出してももはや手遅れ。
どうしてこんな歌詞が誕生したのかといえば、「尾瀬においてミズバショウが最も見事な5、6月を私は夏とうおぶ、それは歳時記の影響だと思う」(江間章子『〈夏の思い出〉その想いのゆくえ』)、つまり、水芭蕉は夏の季語だったです。
さらに具体的には、水芭蕉は「仲夏」(ちゅうか)を表す季語。
仲夏とは二十四節気の「芒種」(ぼうしゅ=6月5日〜6月6日頃/米や麦などの穀物の種を蒔く時期)から「小暑」(しょうしょ=7月6日〜7月7日頃/夏が本格化する頃、現在の気候だと梅雨明け頃)の前日にあたり、まさに尾瀬沼あたりの水芭蕉の見頃と重なります。
あまりに文学的な表現だったので、夏=夏休み=7月下旬というイメージで尾瀬に出かけると、すでに水芭蕉は巨大な葉っぱにということで、実際に「夏に行ったら咲いていなかった」という都会人も多いのだとか。
東北、北海道などでは道路脇の水路で水芭蕉を見かける場所もあり、田んぼに侵入すれば間違いなく雑草の扱いで抜かれてしまいます。
北国では雪解けの代名詞ともいえる存在なので、いかに冷涼な場所でも夏に咲くとは誰も考えませんが、都会に住む人にとっては可憐な水芭蕉が夏に咲くというイメージが根付いてしまったのでしょう。
多くの人を憧れの尾瀬に誘った名歌『夏の思い出』は、平成18年、文化庁と日本PTA全国協議会の「日本の歌百選」にも選定。
江間章子が定宿にしたという「源泉 水芭蕉乃湯 梅田屋旅館」(群馬県利根郡片品村鎌田)の前には江間章子直筆の『夏の思い出』の歌碑も立ち、さらには尾瀬を有名にしたことから作詞の江間章子は、片品村名誉村民第1号にも選ばれています。
さらに福島県側の尾瀬入口・檜枝岐村(ひのえまたむら)にも歌碑は立ち、毎朝6:00、村の防災無線で『夏の思い出』が流されています。
唱歌『夏の思い出』で知名度がたかまった尾瀬は、1960年代には入山者の急増で環境悪化が問題化し、その後、長蔵小屋を中心に環境保全活動が活発化。
尾瀬は日本の自然保護運動の象徴になったのです。
夏に思い出したら遅すぎる! 尾瀬の水芭蕉は5月下旬~6月中旬が見頃 | |
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