知床半島というと「地の果て」イメージのPRによって、「秘境」「人跡未踏」などのイメージが強いのですが、実はこのイメージは近年つくられたもの(詳しくはシリエトクは「地の果て」でない?を参照)
知床半島は北海道、いえいえ日本屈指の古代から中世の遺跡密集地帯。とくに羅臼町は遺跡だらけといっても過言ではありません。知床半島先端の知床岬の大地には凹地が何ヶ所かありますが、これも先住民族の住居跡(続縄文文化やオホーツク文化期の大集落)なのですから。
260点が国の重要文化財に
なかでも注目は、松法川(まつのりがわ)北岸遺跡からの出土品。7世紀〜8世紀頃のオホーツク文化期(北方系の海洋狩猟民族)の集落跡で、土器、石器のほか熊頭注口木製槽など260点が国の重要文化財に指定されました(平成27年3月13日、文化審議会が文部科学大臣に答申)。
【重要文化財松法川北岸遺跡出土品】
土器・土製品=64点
石器・石製品=120点
木製品=37点
樺皮製品=6点
鉄刀子=5点
骨角製品=28点
合計=260点
元羅臼町郷土資料館館長の涌坂周一さんは、知床羅臼の歴史には欠かせない人物。大学卒業後は羅臼町教育委員会に勤務し、担当者として町内の遺跡を数多く調査し、羅臼の歴史に関しては第一人者なのです。
松法川北岸遺跡も昭和57年に涌坂さんが調査を実施。羅臼町を定年退職するまで気が遠くなるような接合・復元作業を続け、今回の重要文化財答申・指定に結びついたのです。
オホーツク文化の火災跡住居から貴重な遺物が
羅臼町郷土資料館によれば、 松法川北岸遺跡で調査された住居跡は15軒。うち3軒はオホーツク文化時代(中世)に火災に遭った家だったということですが、火災の原因は失火なのか、あるいは何か「家送り」のような儀式があったのか定かではありません。
この火災に遭った3軒のうち、12号住居跡、13号住居跡から炭化した建材と木製品が発見されました。 竪穴住居の屋根(白樺葺き)にのせられた土が火災で崩れ落ち、あたかも炭焼き窯のような状況になったので住居内部の木製品が炭化して、1000年後も腐ったり腐敗することなく奇跡的に甦ったというワケなのです。
火災に遭った12号住居跡、13号住居跡から出土した炭化した木製品を復元したのが下の「熊頭注口木製槽」と下の「樺皮製容器」(天方博章学芸員が手にしています)です。当時、知床の海を舞台に活躍したオホーツク文化人の豊かな生活ぶりを垣間見ることができるのです。
「熊頭注口木製槽」は、使用しないときは正像となり、使用するときには口が注ぎ口となるようつくられています。木製槽の口縁部にみられるのが、シャチの背びれを図案化した模様。デザイン的にも非常に洗練されています。
「オホーツク文化の人は動物意匠が好きですね。貴重で美術的に優れた遺物も多く、ぜひ見学してください」と天方博章学芸員は話しています。
アイヌはヒグマを「キムン・カムイ」(kim・un・kamuy=山の神)、シャチを「レプン・カムイ」(rep・un・kamuy=沖の神)として崇めましたが、知床ではアイヌより先住だったオホーツク文化人もヒグマやシャチを神として尊崇していたことが想像できます。
これらの出土品は羅臼町郷土資料館の「重要文化財展示室」に展示されているので、知床羅臼に立ち寄ったならぜひ見学を。 世界遺産に登録された知床半島の先住民族の暮らしぶりを学ぶことができます。
オホーツク文化人の住居模型が羅臼町郷土資料館にありますが、竪穴式住居といえど実は現在のログハウスとそれほど異なるものではないとのこと。家の中は板壁に囲われ、床にも木材が敷かれ、屋根は白樺の皮で覆われています。
羅臼町郷土資料館 | |
名称 | 羅臼町郷土資料館/らうすちょうきょうどしりょうかん |
所在地 | 北海道目梨郡羅臼町峯浜町307 |
関連HP | 羅臼町公式ホームページ |
ドライブで | 根室中標津空港から約44km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 羅臼町郷土資料館 TEL:0153-88-3850 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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