日本最長の川は信濃川ですが、本流は上流部が千曲川、下流部が信濃川、そして上流部の支流に有名な梓川や高瀬川があります。琵琶湖を源とする淀川も、源流の瀬田川、中流の宇治川、下流の淀川と目まぐるしく名前を変えますが、関東平野を流れる利根川は、水源から河口まで利根川です。いったい何が違うのでしょう?
かつては国別に名前を付けていたことも
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まずは日本最長に敬意を表して信濃川から。
信濃川は、長野県(信濃国)を流れる間は、千曲川(ちくまがわ)、新潟県(越後国)に入ると、信濃から流れてくるという意味合いで信濃川と呼ばれています。
全体を通しての一級河川としても名称は信濃川となっていますが、これは昭和40年3月24日に一級河川の指定が行なわれた際に、「信濃川(千曲川を含む。)」となったため。
全長387kmという信濃川のうち、実は千曲川が214kmと過半数以上を占め、信濃川部分は153kmしかありません。
長野県民は「千曲川と呼ぶべき」と考えてもよさそうですが、河川の名称は河口部の名称を使うのが一般的ということから、「信濃川(千曲川を含む。)」なっているのです。
江戸時代以前の旧国時代、河川名は国ごとに定めることができたので、近江国(滋賀県)は瀬田川、山城国(京都府)に入ると宇治川、さらに摂津国(大阪府)に入って淀川と名前を変え、3つの名前を有することになったのです。
近代国家として河川の管理を行なうため、明治29年に成立したのが旧河川法ですが、この法律では淀川は行政区域を単位として都道府県知事が管理する区間主義が採用されていたため、京都府では宇治川を名乗ることができました(ただし内務省が行なった河川改修計画は、瀬田川部分を含めて「淀川改良工事」でした)。
この瀬田川、宇治川、淀川も、河口名称主義で一級河川「淀川水系」となっています(実は水源の琵琶湖も一級河川「琵琶湖」です)。
では、なぜ利根川は源流から河口まで利根川なのでしょう?
源流部は上野国(群馬県)で、武蔵国、常陸国、下総国などを流れています。
江戸時代初期の家康による大土木事業「利根川東遷」以前は、江戸を流れていましたから江戸川でも良さそうですが、『万葉集』にも「刀禰河」と記され、鎌倉時代にはすでに利根川となっているので、古代からの舟運が発達していたことで、上流部と下流部での河川名が統一されていたのではないかと推測されます。
信濃川、淀川、天竜川では急流などの条件で、下流から上流までの一貫する河川交通がなかったことで、国別の河川名が生まれたと考えるのが自然でしょう。
木曽川は、上流は信濃国の木曽ですが、尾張藩の森林資源だったことで、木曽の方から流れてくる川の「木曽川」が上流から下流までの通し名称になったのです(ただし、美濃国では美濃川とも称していました)。
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瀬田川、宇治川、淀川、川の名前はなぜ変わる!? 利根川はなぜ変わらない!? | |
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