大姓48位の中野さんは、全国に29万人ほどが暮らし、シェアは0.23%ほど。野原の中央、あるいは山間にある野原という意味の地形姓で、大野さん(大姓73位)、平野さん(79位)、上野さん(83位)、野口さん(86位)などの「野仲間」ではTOPで、大姓300位以下の野中さんを圧倒しています。
中野区は「中野長者」に由来!?
室町時代の応永年間(1394年~1427年)頃、武蔵国に「中野長者」と呼ばれる強欲な人物がいました。
紀州熊野から鈴木九郎という若者が武蔵国・中野に移り住み、総州・葛西で馬を売ったところ、高値で売れたので、それを浅草観音に奉納するほど、信心深い人物だったとか。
中野の家に帰ると、なんと観音様の功徳であばら家が黄金に満ちていて、それから金運もアップ、中野長者と呼ばれるようになったのだとか。
あふれる金銀財宝が屋敷に置ききれなくなった頃、その中野長者・鈴木九郎に邪念が生まれます。
金銀財宝を埋蔵した場所を隠すため、自分の郎党を無残にも殺害、隠し場所へ淀橋を渡る際には複数いた人が、帰りには九郎ひとりになっていることから淀橋は「姿見ず橋」と呼ぶようになりました。
九郎の美しい一人娘が婚礼の夜、蛇に変わってしまうという祟があり、中野長者は自分の悪行を深く悔いて、供養のため成願寺を建てたという物語が残されています。
この武蔵国中野が、現在の東京都中野区。
中野区は中野町と野方町が合併して誕生した区ですが、この中野町は、中世の武蔵国多摩郡中野郷で、熊野那智大社に伝わる貞治元年(1362年)の『武蔵国願文』にも中野郷と記されています。
往時は武蔵野の真ん中というイメージだったのだと推測できます。
東京都中野区本町にある成願寺の山門を入ると、「東京府史蹟中野長者遺跡」という碑が立っています。
熊野十二所権現(現在の熊野神社)の祭祀を務めた鈴木一族の末裔・鈴木九郎が「中野長者」。
西新宿・新宿中央公園にある十二社熊野神社(じゅうにそうくまのじんじゃ)は、この中野長者・鈴木九郎が故郷の熊野から勧請したもの。
中野区から八王子市までやって来れば、武蔵七党の一つ西党に属する地方豪族の中野氏が中野郷(東京都八王子市中野山王町)で活躍。
やがて所領を広げた中野氏一族の居館は、昭島市中神町の福厳寺あたりだったと推測されています。
空襲で焼け落ちたかつての本堂は、文化13年(1816年)に地元・中神村の豪商・中野久次郎が寄進したものでした。
続いて山形がルーツの中野さん
地形姓である中野さんのルーツは多様で、さまざまな人物が歴史に顔を出しています。
山形で最上氏(もがみし)といえば知らない人はいないほどの有名な大名ですが、その最上氏の重要な分家が中野氏。
最上氏3代目となる山形城主・最上満直(もがみみつなお)は、中野(山形市)、大窪、楯岡(村山市)に子息を配置。
中野(山形市)に配された次男・最上満基は、中野満基を名乗り、中野城を羽前国東村山郡中野(山形市中野)に築いて居城にしています。
以降、この中野城が、出羽・中野氏の本拠となっています。
中野城は、東面324m、西面360m、南面200m、北面300mの堀と石垣に囲まれた平城。
元和8年(1622年)、最上騒動で最上氏が改易されると、中野城は廃城に。
城跡は大郷小学校になっていて、せっかくのルーツ探しの旅でも城跡には残念ながら遺構はなにもありません。
ただし町名(大字)は中野だから東北に住む中野さんなら一度は訪れてみたい場所といえるでしょう(大郷小学校の敷地内に「中野城址」碑が立っています)。
中野満基の子・最上満氏(もがみみつうじ=最上氏の第7代当主)をはじめ、中野氏の当主は最上氏の当主も兼ねた者も少なくなく(宗家に跡継ぎがない場合、中野家から輩出)、中野城主は山形城(山形市霞城町)にも居住していました。
最上氏57万石の居城として壮大な規模を誇る山形城は、本丸・二の丸・三の丸と輪郭式に配置された縄張りで、現在は二の丸内が霞城公園となっています。
この山形城で、出羽のルーツ探しの旅はお茶を濁しておきましょう。
群馬県邑楽町にも中野さんのルーツが
中野さんのルーツ探しの旅を上野国(現・群馬県)に移せば、延元3年(1338年)、新田義貞(にったよしさだ=後醍醐天皇による建武の新政樹立の立役者)に最後まで付き従い(新田義貞は後醍醐天皇の息子・恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴き、越前国を拠点として活動)、越前国・藤島で新田義貞とともに討死した忠臣・中野景春(中野藤内左衛門)がいます。
この中野氏はもともと新田一族で、中野景春の居城・中野城(群馬県邑楽郡邑楽町中野3015)は、文永2年(1265年)、新田氏の一族で中野景春の父・中野景継が築城。
延元3年(1338年)、中野景春が討死したため廃城となっています。
現在、神光寺が建つ場所が中野城跡といい、往時の城の規模は東西110m、南北140mほど。
城というより居館と考えた方がいいでしょう。
その中野館だが、わずかに73年で役目を終えています。
永禄年間(1558年〜1570年)、小泉城主・富岡氏の家臣の宝田和泉守が中野城を改修しその居城としていますが、豊臣秀吉の小田原攻めの際に廃城に。
神光寺境内に立つ推定樹齢770年の大カヤ(群馬県の天然記念物)は、中野城(中野氏居館)の名残りとされています。
東海地区の中野さんなら名古屋市中川区へ!
天文11年(1542年)、岡崎城(徳川家康生誕の城)近くの三河国額田郡小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)で活躍した織田信秀軍(織田信秀=織田信長の父)の勇士で、小豆坂七本槍の一人16歳の中野重吉(中野又兵衛、中野一安)も忘れてはならない中野さんの先祖。
この清和源氏為義流の中野氏は、源行家(みなもとのゆきいえ)の末裔・源為貞が尾張国愛知郡中野郷に住み、中野を称したのが始まりとのこと。
『尾張志』によれば、中野重吉のルーツと推測できる中野五郎能成や中野重次は、尾張国愛知郡中野村の出。
この愛知郡中野郷は尾張藩名古屋城下の中野村と推測できるので、現在の愛知県名古屋市中川区元中野町、中野本町界隈だろうと推測できます。
元中野町は、農家住宅などに集落の面影が残る昔町ですが、中川運河の掘削で運河の西側は工業地帯に変身。
元中野町2丁目にある中野神明社は、村内に散在していた津島社・八幡社・神明社・白山社が安永6年(1777年)に合祀されたもの。
まさに中野地区の氏神様。
名古屋周辺の中野さんならぜひ参拝したい社となっています。
信州中野も中野さんの貴重なルーツだ
信濃国高井郡中野郷(現・長野県中野市)を発祥とする藤原秀郷流中野氏は、鎌倉初期のの建久3年(1192年)に藤原(中野)助廣が中野西条・志久見郷地頭職になる(『将軍家政所下文』/長野県立歴史館/下の画像)など、中世にはかなり勢力を有していた中野さんのルーツ。
永正年間(1504年〜1521年)、中野氏は高梨氏(高梨政盛)に追われて没落。
その居城は中野小館(なかのおたて)とも、高梨氏館とも呼ばれています。
高梨氏は慶長3年(1598年)、上杉景勝に従って会津へ去り高梨氏館は廃城に。
現在の地名は、長野県中野市小舘で、高梨館跡公園(中野市小舘4丁目)として公園化されているので、見学が可能です。
公園の周囲には空濠・土塁が残され、園内にも稲荷社、井戸跡、庭石などが残されていますが、残念ながら中野氏時代ではなく、高梨氏時代のもの。
ここに中野氏時代に居館があったのかもよくわかっておらず、中野市も高梨氏の居館跡としていますが、信州中野と呼ばれるように、一帯はまさに藤原秀郷流中野氏のルーツであることに間違いありません。
三重県四日市市にも中野さんのルーツが
伊勢国朝明(あさけ)郡中野には赤堀氏族の中野氏が暮らしていました。
現在の地名に直すと、三重県四日市市中野町。
三岐鉄道保々駅の西側一帯で、古墳時代後期の鎧塚古墳もあるので、古くから拓けたとであることがよくわかります。
行園寺の南西には伊勢中野城の城跡も残り、三重県の中野さんなら訪ねる価値がある場所でしょう。
田原藤太(藤原秀郷)の後胤、赤堀藤太郎が中野氏を名乗り、永禄年間(1558年~1570年)に築城。永禄11年(1568)に織田信長が攻略し廃城となっています。
江戸時代の大庄屋・天春家はその城跡に屋敷を構築。
中野地区には、織田信長の八風越え(永禄2年)など、戦国時代には武将たちも駆け抜けた八風街道(はっぷうかいどう)も通っているので、歴史ドライブにも最適。
八風街道は、現在の四日市と鈴鹿山脈の八風峠を越えて近江国神崎郡八日市(現在の滋賀県東近江市)を結ぶ鈴鹿山越えの道。
中山道と東海道と直結するルートで、近江商人の通商路にもなっていた街道です。
中野さんは北海道と九州に多い
九州のハヤブサといわれた競輪で活躍、世界選手権個人スプリント10連覇の中野浩一(なかのこういち)は福岡県久留米市出身。蒲池氏族の中野氏がルーツでしょうか。
フリーアナウンサーの中野美奈子は香川県丸亀市の出身。
サンプラザ中野くん(本名・中野裕貴)は、山梨県甲府市生まれ。
中野さんは北海道と、九州、山口県(大姓15位)に多いのが特長。
「仲野」と書く苗字もかなりあり、淡路国三原郡井加利を発祥とする仲野氏は名族として知られています。
近畿地方では「中埜」姓も多く、有名なミツカンのルーツ、中野又左衛門(なかのまたざえもん)は尾張国半田(現在の愛知県半田市)ですが、4代目から中埜を名乗っています。
中野さんの代表家紋は、八つ鷹の羽車紋。
ほかに中野柊、剣花菱紋など。
藤原北家秀郷流の赤堀氏族は、丸に三階菱紋。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
中野さんのルーツを探せ! | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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