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石田堤

映画『のぼうの城』で一躍有名になった、石田三成の忍城水攻め。その水攻めの際に築かれたのが石田堤と通称される総延長28kmに及ぶ堤です。行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、250mが現存し、石田堤史跡公園として、埼玉県の史跡となっています。行田市堤根地区には、「石田堤歴史の広場」も整備されています。

忍城の水攻めは実は豊臣秀吉の指示だった!?

1590(天正18)年6月、豊臣秀吉の小田原攻めにに伴った関東平定の一環として、忍城に立て籠もる忍城代・成田長親ら3000人を、利根川・荒川の水を引き入れて水攻め。

石田三成が、秀吉の備中高松城攻めを真似たともいわれていますが、実際には秀吉が書状で細かく水攻めを指示していることから、秀吉の案だったとする説が有力です。

石田三成は自然堤防を利用し、28kmの堤防をわずか1週間で築いたと伝えられます(実際には、書状などから1ヶ月ほどかかったことが判明しています)。
28kmの堤防は、備中高松城水攻めの4倍以上の長さ。
つまりは、戦国史上、最大の水攻めです。

石田三成の水攻めですが、忍城や城下町よりも現在の下忍や堤根方面に水が溜まってしまい、結果的には増水により堤が決壊して、水攻め策は失敗に終わっています。
水の退いたあとは以前にも増した泥濘地となって、城攻めどころではなくなったのだとか。

現在残っている石田堤も、自然堤防上に1m~2mほど盛土をしたもの。
堤に松並木が残るのは、江戸時代に堤に沿って日光裏街道が通じていたから。
水攻め以降に植えられたものです。

石田三成は、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の一基である丸墓山古墳(まるはかやまこふん)の頂きに本陣を構えましたが、丸墓山古墳から南に延びる歩道も石田堤の名残りです。

丸墓山古墳から南に延びる歩道
石田堤
名称 石田堤/いしだつつみ
所在地 埼玉県行田市堤根1262地先
関連HP 行田市ホームページ
行田市観光協会ホームページ
ドライブで 東北自動車道羽生ICから約15km。または、加須ICから約18km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 生涯学習部文化財保護課 TEL:048-553-3581/FAX:048-556-0770
行田市観光協会 TEL:048-556-1111/FAX:048-553-5063
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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